次の火曜日、土岸が風呂に入り、次に岡本くんが風呂に入った。
「おい、早くしろよ! 文子さん来ちゃうだろ!」
じゃんけんで負けた小森谷くんが声をあげた。
頭を洗うだけだからシャワーでいい、と言っているのに、土岸が湯を張ったせいで、こんな時間になってしまった。
いつも長風呂の岡本くんが、湯船につかって呑気に鼻歌を歌っている。
時計を見たら、約束の時間まであと十分しかなかった。
一番最初に風呂を済ませた土岸は、ほかほかの体で腰に手を当て、牛乳をパックから直接飲んでいる。「早く出ろよ!」と、彼はまた風呂場に向かって怒鳴る。
結局、彼が風呂に入ったのは、約束の時間の数分前だった。
湯船に浸かる時間はないと判断し、大急ぎでシャワーを浴び、頭をごしごしと洗う。
風呂場を出ると、既に文子さんが到着していた。
彼は素早く体を拭き、服を着る。鏡に映る自分を確認し、歯を磨き、リビングへ向かう。
「あー、小森谷くんナイスタイミング! 今から切るところだよ」
銀色のハサミを持った文子さんが、にこやかに笑った。
リビングにはおかしな光景が広がっている。
床には新聞紙が広げられ、真ん中に椅子が置いてあった。
白いゴミ袋を被った土岸が椅子に座り、その後ろで文子さんがハサミを構える。前には鏡を持った岡本くんが立っている。
「小森谷くんはまだすることないから、見学しててね」
その日、文子さんは、三人の髪を切りに来てくれた。
先週、帰りの車の中で冗談で頼んだら、面白そう、と引き受けてくれたのだ。
「じゃあ切るね。どんな感じにする?」
文子さんは土岸の直毛に、何度か櫛を通した。
ゴミ袋の穴から顔を出している土岸も間抜けだが、両手で鏡を持って立っている岡本くんもかなり間抜けだ。
「今日はお任せでお願いします」
「よーし」
一回、二回、三回、とリズムを取るように櫛を通したあと、文子さんは土岸の髪をひょい、と持ち上げた。
それからすぱん、と無造作にハサミを入れる。
「おおー」
落ちた髪の多さに、土岸が声をあげた。
「何だかお店じゃないと、いつもより大胆になれるね」
不敵な笑みを浮かべながら、文子さんはまた櫛を動かした。すぱん、すぱん、と何度かハサミを入れる。
「あの……文子さん。結構切ってません?」
土岸が心配そうに訊いた。
「うん。いつもより大胆な自分に、今、驚いてる」
「……まじっすか」
シャカシャカと小気味の良いハサミの音が続いた。もっさりした感じだった土岸の髪が、次第にシャープに仕上がっていく。
シャカシャカ。シャカシャカシャカ。
こんなに間近で人が人の髪を切るところを見たことはなかった。
その鮮やかな手つきに、小森谷くんは心から感心した。確かな技術を持つ文子さんに、また髪を切る技術そのものに、しゃかしゃかと尊敬の気持ちが湧いてくる。
「──よし、完成っ」
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