続 - エリ先生の哲学授業 第1回「プラトンとイデア」
ひろ 怒鳴らなくていいでしょ褒めるんならっ!! もう! 怖い! ……それで、そのイデアが認識とどう関係があるんですか? 犬とか直線のイデアがあったらなんなんですか?
エリ いい? 私たちは「完全な直線」は決して書くことができない。「三角形」も同じよ。本当に定義通りの「完全な三角形」を作ることは、どんなコンピュータを使ってもできないわ。
ひろ そりゃそうです。完全な直線が書けないならば、完全な三角形だって描けないですよね。極限まで拡大すれば角だって丸いでしょうし。角が丸かったらそれは三角形じゃないもんね。
エリ でも、私たちはその完全ではない三角形を見ても「これは三角形だ」と理解できるわよね? 殴り書きの雑な三角形も、オニギリの形でさえも、「これは三角形だ」と認識できる。
ひろ たしかに。富士山やとんがりコーンもなんとなく三角だって思いますよね。
エリ さらに言うならば、それぞれの三角形が「完全な三角形とどれくらい離れた三角形なのか」も感覚的にわかるわよね? 犬もそう。いろんな個性のある犬を見て、私たちはその個性あるいろいろをすべて「犬である」と認識できる。しかも、それが「犬に近い犬」なのか、「犬から遠い犬」なのか、感覚的に判断ができる。
ひろ おお、言われてみれば。さっきのひょろ犬を見て僕が「犬離れした犬」だと感じたということは、僕は無意識にその犬がどれくらい完全なのか、もしくは不完全なのかを採点したっていうことですよね。
エリ そういうことよ。……じゃあ問題。どうしてそんなことができると思う?
ひろ そんなこと? 「個性あるいろいろな犬を見てもそれが犬だとわかり」、さらに「その犬がどれくらい完全な犬なのかがなんとなく判断できる」のはどうしてかっていうことですか?
エリ そうよ。犬だけでなく直線や三角形、あるいは四角形や熊やキリンを見ても、同じような認識が行えるはずよ。それはなぜ?
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