「アイドルといえば、文月さんもアイドルなんですよね!」
某社会議室での打ち合わせ。初対面の仕事相手にこう投げかけられ、私は固まった。「い……いえ、ゴホッ。ちが、違いますよ!」と恥ずかしさでどもりながら、その話題をかわそうとする。
「え、でもアイドルオーディションに出られてますよね?」
Wikipediaを見られたか。俯きそうになる顔を上げ、苦笑いを作る。
「まあ、若気の至りというか……。あははは」
目のまばたきが止まらない。その話題はダメだ、早く終わってくれ、とそれとなく視線を逸らした。
四年前の夏、私は「ミスiD」という、講談社主催のアイドルオーディションに出場した。
ミスiDは、いわゆる歌って踊れる「アイドル」を選出するものではなく、個性的な女の子の活動を応援する趣旨の特殊なオーディションだ。
華やかさとは無縁の私が、あろうことかファイナリストまで残り、選考委員の個人賞を獲得。ついにはミスiDの枠で、世界最大のアイドルイベント・TIFにも出演してしまった。
普通の詩人をしていたら、到底立つことのない舞台だった。
あのとき、私は一生分の非難を浴びた気がする。
アイドルのオーディションになんて出てしまったら、好奇と誹謗の目に晒されるに決まっている。臆病で他人の目を気にしてばかりの私が、なぜそんな正気を失った奇行(と当時は思われていただろう)に至ったのか。
明け方に勢いでエントリー
話は2013年6月にさかのぼる。
私は講談社に向かって汗だくで走っていた。
当時の自宅から、護国寺にある講談社まで、往復約6キロのランニングである。
オーディション選考会場となる講談社のビルを眺め、引き返す。数日後にはここで、写真撮影と自己PR動画の撮影がある。間近に迫る審査に、不安でいてもたってもいられず、走り出してしまった次第だ。
お寺に集う猫たちの顔を冷やかしながら、私はなぜこんな事態になったのかを思い返していた。
今だから言おう。ミスiDにエントリーしたのは、半ば勢いだった。
無論、「詩というジャンルを広く届けたい」「オーディションに出ることで、詩や詩人の存在をポピュラーなものにしたい」と当時の私は至極まっすぐに願っていた。
その頃の私は、21歳の大学四年生。学生兼詩人として活動してきたものの、進学にも就活にも踏み切れず、「このままでいいのだろうか」と煮詰まっていた。
ある深夜、Twitterを眺めていたら「ミスiDのエントリーの締め切りを、明日の朝7時までに延長します!」という告知ツイートが回ってきた。ミスiDというオーディションの存在は前年度から知っていた。文学アイドルの西田藍さんが入賞していたこと、作家の柚木麻子さんが選考委員(当時)として、応募を呼びかけていたことも大きかった。
募集要項の「『これだけは誰にも負けない』特技を持っている女の子」の例の中に、「ダンス」や「歌」と並んで「文学」の文字があり、惹きつけられた。
ここでは「文学」が個性として評価されている。狭い詩の世界ばかり見ていた自分にとって、そのスタンスは魅力的で輝いて見えた。外の世界の人たちに、詩を知ってもらえるチャンスかもしれない。
札幌での中高生時代、私が一番後悔しているのは、詩を書くことや読書が好きであることを、恥ずかしいことのように隠し通して過ごしたことだった。
同級生たちがスポーツや音楽が好きなのと同じように詩が好きなのに、そのことを口にすると、みんな困った顔をする。空気が固まる。「変わってるね」とか「うける」とか、声に出されなくても距離を置かれたり、陰で馬鹿にされたりすることが少なくなかった。
世間がいかに詩に無関心か、身に染みてよくわかっていた。でもミスiDで詩を個性だと評価してもらえたなら、人の見方も変わるかもしれない。かつての同級生たちの顔が脳裏によぎる。
ひたすら迷った後、「まあ求められてなかったら、落とされるでしょ!」とWEBのエントリーフォームに入力し始めたのは、朝5時過ぎ。要は、夜更かしのテンションで応募してしまったのだ。