「信長殿、なにゆえ——」
信長から絶大な信頼を受けていたはずの浅井長政が、織田ではなく朝倉についたのか。家康が最初のひとことを告げるだけで、信長はすべてわかった様子で、憎悪にちかい表情で明智光秀をみた。
「これだ」
明智光秀は織田の重臣として、わずかな間に柴田勝家や丹羽長秀につぐほどのゆるがぬ地位を築いていた。その一方で、十五代将軍足利義昭の直参の重臣でもある。光秀の今回の出陣は足利義昭の名代としての役割もあった。
しかし。
十五代将軍足利義昭の陰謀好きはなおらない。再三の信長の諫止も聞き入れず、義昭は諸国に密書を送っては信長から叱責され、それが不満でさらに諸国に密書を送り、といったことを繰り返していた。
明智光秀は、織田方からの足利義昭への監視役でもある。
それが、唇をかんでいるということは。
——足利義昭が明智光秀の目を盗んで、浅井長政を煽動したのだ。——
「されど、なぜ、ここにいたるまで——」
浅井長政は、徳川家康とならび織田信長の盟友中の盟友である。もちろん家康とは地勢的に距離がありすぎて、直接の行き来はほとんどない。けれども、信長は浅井長政とは緊密に連絡をとりあっていたのではないのか。
ましてや、こんなぎりぎりの場まで誘い込まれるまで、浅井長政の離反が信長に伝わらないわけがないではないか。
家康が、さいしょのひとことだけであとは目でうったえた。信長は、こんどは木下秀吉の側をみた。
「これだ」
木下藤吉郎秀吉は、武功はまだほとんど目立つところがない。信長の雑人からはじまった、そのすさまじい出世ぶりは評判にはなっており、重役の末席のその次の奉行あつかいである。
武将としてはけっして評価は高くはないが、調略の名人ぶりは織田にならぶ者がない。信長による伊勢の接収や上洛時の畿内諸将の説得などなど武略以外はどんなことでもやってのけた。
現在は、信長直属の奉行として諸国諸将の動静の掌握を担当しているはずである。木下秀吉が浅井長政の意向をくんだからこそ織田の全軍が越前金ケ崎まで出張したのだ。
その秀吉が、顔面を蒼白にしてひざまずいているということは。
——木下藤吉郎秀吉が、浅井長政の偽計にひっかかったのだ。——