—ゾンビ先生の哲学授業 第7回 「ソシュールと言葉による物の区別」—
先生 おお、もうキャラクターグリーティングが始まっておるな!? ……なんじゃこれは、豚がすごい数じゃな! ひろは並ばんでよいのか? 写真撮ってやるぞ?
ひろ いや、いいよ。どうせ僕一人でミュッキーと撮ってもSNSには投稿できないしね。
先生 どうして? なんでも載せたらいいじゃないか。
ひろ わかってないなあゾンビ先生も。男一人でデズニーにいる写真なんて投稿しても、全然充実アピールにならないでしょう? こういうのは女子入りじゃないと意味ないんだよ。一番いいのは、カップルでミュッキーを挟んで写真を撮って、なおかつ彼女の顔をハートマークとか花のアイコンで隠した投稿さ。顔を隠すことによって、その画像を見た有象無象どもが「こいつの彼女どんな顔なんだろう!?」と想像を膨らまし、デズニーデートという状況も相まって、えも言われぬリア充感を演出できるのさ。あ、顔は隠すけど、髪の毛はうまい具合に見えないとダメだからね。
先生 ひろはその分析力をもっと人生に役立つような局面で発揮できないのかのう。
ひろ うるさいな!! なにが人生の役に立ったと感じるかは相対的なことでしょ!! 僕にとってはSNSも人生のうちですから! 余計なお世話ですよあなた!
先生 はいはい。わしはミュッキーマウスしかわからんのじゃけど、ひろは他の動物の名前も知っておるのか?
ひろ 知っておるよ。ミュッキーにミュニーでしょう、それからあそこにいるのがドゥナルドとデイズィー、あっちはグゥーフィにプゥルートにおしょれキャットのマリーちゃん、そんで他のは千匹の子豚ね。まあこの広場ほとんど子豚で埋め尽くされてるけど……
先生 ほおお、詳しいのう! たいしたもんじゃ。
ひろ ちゃんと予習してきたんですよーだ。どこかで披露するチャンスがあるかもと思って。でもゾン次郎のせいでそれどころじゃなくなっちゃったけどね! ……そういえばゾン次郎はどこ行ったの? 死んだ?
先生 うちの社の送迎係が送っていったよ。さすがに一人で電車で帰らせるわけにはいかんからな。
ひろ あのー、いつも不思議なんですけどね、どうして僕だけゾンビ先生やゾン次郎のことを認知できているんですか? 僕だっていつもイドラの呼気の中にいるはずなのに。
先生 それはな、ひろが北尋坊でわしと会ってしまったからじゃよ。ひろの命を間一髪で救った時、わしはイドラの呼気を出しておらんかった。だからひろはゾンビの存在を知ってしまった。そしてイドラの呼気は、「ゾンビの存在を知らない者」にしか効かんのじゃよ。
ひろ ゾンビの存在を知らない者にしか……? つまり、僕は最初に北尋坊でゾンビ先生をゾンビとして認識してしまったから、もう呼気では欺かれないっていうこと?
先生 その通り。すでにゾンビの存在を知っている人間には、わしだけでなく他の哲学ゾンビが出すイドラの呼気も効果を発揮せん。とはいえ、知っている者はもう知っているのだから別に欺く必要もないんじゃがな。
ひろ じゃあ、どうして北尋坊ではイドラの呼気を出していなかったんですか? 出せばよかったじゃないですか。
先生 ふぉっふぉっふぉ。まあそれはいいじゃろうが。
ひろ え——。
先生 それより、ひろも偉いのう。ちゃんとミュッキーやドゥナルドの名前を覚えて、名前を当てはめることによってミュッキーやドゥナルドを存在させてやっているのじゃからな。