前回の授業で、どれだけ人間らしくても「他人に心がある」ということを証明することはできない。世界には、あなた以外にはゾンビしかいないかもしれないことを学んだ青年ひろ。そして次の難題は……?
人は外見か、中身か?
ひろは昂ぶりを隠せなかった。
ここは東京湾岸にある夢の国、東京シティデズニーランド。その園内アトラクション「ポーンテットマンション」で、ひろは今、憧れのマドンナ・桜子ちゃんと並んでライドに乗っている。
ポーンテットマンションは、999体のゴーストが住むと言われている謎の洋館を、二人乗りのライドで探検するアトラクションだ。
暗闇で桜子ちゃんと二人……。どんな恐ろしいゴーストよりも、憧れの桜子ちゃんが隣にいるという事実が一番ひろをドキドキさせる。……今すぐ、僕たち以外のすべてのものが崩れ去ればいいのに。そうしたら、僕たちは世界で二人きりになれるのに。そんなことを思いながら隣へそっと視線を向けると、ホログラムのゴーストにはしゃぐ桜子ちゃんの横顔は、今日もいつも通り、この世のものとは思えぬほど、かわいかった。
ただし。これは夢でもないが、残念ながらデートでもない。
姿こそ見えないが、ひろの前後にもバイト仲間の料理人たちが二人ずつ、同じくライドに乗って幽霊マンションを探索している。今日はひろが勤めるしゃぶしゃぶ店が定休日のため、同じ店の仲間六人でデズニーランドへ遊びにきたのだ。そこでひろはじゃんけん決戦を制し、栄光の桜子隣席を勝ち取ったのである。ただし桜子はなにかを主張するように目いっぱいライドの端に寄っており、ひろの想いとは裏腹なその距離が悲しい。
終盤、ライドはマンション名物「ゴーストミラー」へと差し掛かった。ゴーストミラーは、ライドが正面を向きながら鏡の前を通過すると、鏡の中のライドに、自分たちの他にゴーストが一体一緒に乗り込んでいるように見えるという名物コーナーだ。
あちこちのライドから、「うわあゴーストが隣にいる!」「ほらケンちゃん、鏡見てごらん! オバケが一緒に乗ってるよ!」などと恐楽しがる声が聞こえてくる。桜子ちゃんもまた、鏡の中で隣に座るガイコツオバケにキャッキャと声をあげている。
しかし、ひろはふと思った。……あのガイコツ、どっかで見たような気がするなあ。ガイコツにしてはいくらか肉が残っているし、あれはガイコツというよりはゾンビだよな。半分白骨化したゾンビ。………………。ひょっとしてあれは……。
胸騒ぎを覚えたひろが鏡ではなく自分の乗っている実際のライドに視線を移してみると、ひろと桜子の間の隙間には、本物のゾンビが1匹乗車していた。
「ゾン次郎っ!!! なにやってるのおまえっ!!! なんでいきなり俺の隣に座ってるんだよおまえはっ!! いつの間に!! どっから来たんだ!!!」
「゙ア゙ウ〜〜グワワワア〜〜〜」
ゾン次郎はひろに擦り寄り、じゃれるように頬を擦りつけてきた。この日のために購入したオシャレシャツに腐汁が染み込む。
「くっつくなって!!! 危ない!! 歯をむくな!! 歯が当たったらゾンビになっちゃうだろ!!」
しかし、じゃれる死体よりももっとひろを慌てさせたのは、直後に響いた桜子の絶叫であった。
「ギャアアアアアアアアアアアアアッッッ!!! なにこれ!! なんで本当にオバケが乗ってるの!!! 怖いキャアアア——!!! 助けてギャアアア——ッッッ!!!」
「桜子ちゃん! 落ち着いて!! 大丈夫、こ、これはポーンテットマンションに導入された最新の仕掛けだから! 選ばれたライドにだけ、本物のゴーストが乗り込んでくるんだよ! 僕先週『王様のブランチ』で見たもん! 本当だよ! ブラン娘も絶叫してたもん! 確かに怖いよねこんなにリアルなんだから! でもそれがデズニーのすごいところだよねこうやって常に新しい仕掛けでゲストを驚かせてくれるんだもん!! …………あ、あれ? 桜子ちゃん? どうしたの急に収まって。もう恐くないの?」
ゾン次郎はカチカチと歯を鳴らしながら桜子ちゃんにも迫っているが、五秒前まで絶叫していた桜子はいきなり平静を取り戻し、まるでゾンビなど目に入らぬかのように再びキャッキャとアトラクションを楽しんでいる。
そのまま最後の扉をくぐると、ひろたちのライドはゾン次郎を乗せたまま出口へと帰還した。
「おかえりなさいませ〜。おかえりなさいませ〜〜」
カーキ色の古めかしいメイド服を着たスタッフが乗客を出迎えている。すると、一人のメイドが、ライドから降りるひろを見て声を上げた。
「ひろ!! ひろじゃないか! 奇遇じゃな、こんなところで会うなんて! おかえりなさいませ〜〜」
「ゾンビ先生!! なにやってるんですかこんなとこで! しかもなんで女性用のメイド服着てるの!!」
「だって女用の制服しかなかったんだもん。おかえりなさいませ〜〜。おっ……、そうかゾン次郎がひろを見つけてライドに乗ってしまったんじゃな。珍しいのう次郎がそんなに食べ物に懐くなんて。さすがひろじゃ」
「さすがじゃない!! なんでデズニーにゾンビがいるの! まったく状況が飲み込めないよ僕は!!」
「うちの会社はデズニーランドとも提携しとるんじゃよ。ポーンテットマンションの999体のゴーストのうち、2、3体はうちが派遣しているゾンビなんじゃ。いつも同じだと飽きられるから、少しずつ本物を混ぜて変化を出す。こういう見えない企業努力を欠かさないからこそ、デズニーランドはリピーターが絶えないのじゃよ」
「そんでゾンビ先生はメイド姿でなにやってるの?」
「ゾン次郎はこの現場ではまだ新人じゃから、わしもOJT担当として来てるんじゃよ。新人がなにかやらかしてしまったら、わしが咄嗟にイドラの呼気を放って客の認識を誤謬させるのじゃ。まさしく今のようにな」
「今のようにって……、じゃあ桜子ちゃんが急に静かになったのは、ゾンビ先生がイドラの呼気を出したから!?」
「デズニーにふさわしくないとんでもない悲鳴が聞こえたから、保守用の通路から様子を見にいったんじゃよ。案の定ゾン次郎が粗相をしておるようだったんで呼気を放ったんじゃ」
そこでゾンビ先生は、前方を歩く桜子ちゃんへと目を向けた。
「もしかして、あれが例の桜子ちゃんか? ほほ〜、たしかに目がクリッとして、アイドル顔じゃなあ。あの顔ならひろが虜になるのもわかるわい」
「ちょっと待った! 今のは聞き捨てならないな先生!! 『あの顔なら』って、まるで僕が桜子ちゃんを顔で好きになってるみたいな言い方じゃないか! それは間違いだぞ!!」
「なにが間違いよ」
「僕は女の子を外見で判断なんてしないからね! そんな軽薄な男だと思われたら心外だ! 僕は人を外見じゃなく、中身で判断する人間だからね!!」
「……まったく、おまえは相変わらずバカじゃのう」
「なにがバカだコラ!!」
「もうすぐシフト交代の時間じゃから、ダンボの脇のベンチで少し待っていられるかバカ?」
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