撮影・青木登(新潮社写真部)
高校までの停滞を思うと、落語に出会った後の松之丞が、かくも貪欲かつ急速に自分の進む道を探し始めたことに驚かされる。自身では気づかなかっただけで、圓生の「御神酒徳利」と出会ったとき、すでに覚醒は始まっていたのではないだろうか。
「おやじが死んだあと、ずっと探してはいたと思うんですね。ただ『御神酒徳利』に関しては単純に楽しいなと感じたはずなんですよ。それを何かにつなげようという考えはなくて純粋にはまっていった。後で談志師匠の高座を見たときには、これだ、と思いましたね。でもそこではまだ模索の時期です。落語、講談だけではなくて浪曲の(玉川)福太郎先生はどうだろう、とか、とにかくピン芸を見まくりました」
松之丞の芸人としての地力は、間違いなくこの時代に作られたものだ。彼の特殊な点は、芸の体験のために、何もわからないままでしろうと芸を身につけるのではなく、プロの芸を見て素養を貯えようとしたことである。落語研究会に入るのは論外だった。
「もちろん落研出身者だって優秀な方は(柳家)喬太郎師匠はじめいるんです。でも素人の変な癖がつく、という耳学問的な知識があって、落研に入ること自体が既にプロの考えじゃない、と当時の僕は勝手に思ってました。こんなに前で見ることができる大事な時間にもかかわらず、自分がやってどうするんだよ、自分でやることなんて後でいくらでもできるでしょう、と。今はお客としての感性を磨くときだし、それは絶対後で役に立つのに、何今やりたくなっちゃってんだよ、と思ってましたね。全然プロになる段取りわかってねえなって。もちろんそれだってどこかで聞きかじったのを、勝手に自分で解釈して言ってるだけなんですけど、当時の信念でした」
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