撮影・青木登(新潮社写真部)
そうして初めて大人の世界を垣間見せられたが、高校も居場所ではなかった。どっちつかずの気分になっていたときにたいへんなことが起きる。落語に出会ったのである。高校二年の頃のことだったという。
「『ラジオ深夜便』でたまたまやっていた(六代目三遊亭)圓生(故人)の『御神酒徳利』を聞いたんです。たまらなくよかったですね。すぐウエマツに話したら、彼は少し落語の知識があったんです。他にもう一人詳しいやつがいて、二人から落語の基礎知識を教えてもらい、そこからスポンジが水を吸うかのごとく、ものすごい頻度で聴きに行きましたね」
「御神酒徳利」は、圓生が昭和天皇の御前で口演したことで知られる噺だ。その圓生が自身の持ちネタを吹き込んだ『圓生百席』が高校二年生の知識の根源になった。当然、偏る。
「大ネタの『札所の霊験』とかを、かなり早いうちに聞いてるんです。でも寄席ではかからない。普通は『子ほめ』とかですよ。それを聴いて、『子ほめ』なんて珍しい噺やってんな、『札所の霊験』やんねえのかな、とか(笑)」
ついに居場所が見つかった松之丞は、以降の高校生活を落語漁りに費やしていく。音源も書籍も、探せば探すだけ無尽蔵にあった。受験勉強は二の次となったためか浪人、一年後、武蔵大学経済学部に合格した。
「周りのみんなは受験をすごく頑張ってました。僕はまったくやる気がない。大学の四年間を、これから自分が決意を固めるのに必要な猶予期間として割り切って考えていたんです。片手間で大学生活を送れるのが武蔵大学のいいところで、授業を本気で受けなくても、教師もやってるふり、生徒もやってるふりの、なあなあな感じで単位が取れる。まあ、本音は違うんでしょうけどね。ただの猶予期間だと考えていたので、出席日数を稼ぐために行く以外は、全部落語とか演芸のために僕は時間を使っていました。大学に金があるのか、AV関係の設備が充実しているんですよ。そこに僕が落語関係の資料を注文すると、どんどん買ってくれるんです。一人落研みたいなものです。落研は無駄だ、と馬鹿にしつつ、たった一人の落研活動」
一年の浪人期間を経て大学に入ったとき、松之丞の演芸観は一変していた。落語の世界を探索している間に、立川談志という天才の存在を知ったのである。
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