何度体験しても、夏というものは好きになれない。
春が過ぎ、季節外れの台風が来て、それが去ると急に蒸し暑くなった。
日が高いうちは起き上がる気力さえ出ない、うだるような暑さで、かといって夜になっても気温は下がってはくれない。窓を開け放しているのに汗をかき、その暑気のなかで、僕はひたすら滅入っている。こんなにいやな季節はないと、ぶつぶつと文句を言いながら、作業をしている。
何をしているのかというと、スーパーマーケットなどで貰ってきた段ボールに、服やら小物やらを詰めているのだった。僕は明日、この花園シャトーを出て行く。
ネットの知人であるところのヤマダさんが、この春にとある大学を卒業して、無事就職して、それは良かったのだけれども、昨今のIT人員の不足のせいで文系であるのに無理矢理システムエンジニアにさせられて、つらいつらいとその暗い感情を毎日自分のサイトに書き綴っていた。僕はそれを知っていたので、先日彼と会ったとき、『蟹工船』という小説をプレゼントした。これはどういう小説かというと、凍てつくオホーツク海に船を浮かべて蟹を捕っている男たちが、その過酷な労働のためにバタバタと倒れ、耐えかねてストライキなどを行うというお話で、とにかくその地獄のように凄惨な労働のシーンが素晴らしい。これを苦しむ彼に手渡したのである。
渡されたヤマダさんは、複雑な表情で受け取ると、恨めしそうに僕を見た。無職の僕を見た。
そう、僕は相変わらずちっとも働いておらず、だから収入というものがない。スーツを着てオフィス街をうろうろしていたのは、丁度去年のこの季節だったのだ! あれから一年が過ぎたとは、とても信じられない。その間、僕は何もしていない。
いくら花園シャトーの固定費分割制度が安価な生活を実現しているとは言え、これだけ無為の時間を消費してしまえば、さすがに貯金も尽き果てて、にっちもさっちもいかなくなった。しかし僕はもちろん労働する気がない。そんなくだらぬものをするくらいなら、死んだ方がましなのです。
そうして、もう逆さに振っても何も出なくなったころ、丁度良いタイミングで、母親が家を貰った。書き間違いではなく、本当に家を貰った。資産家である祖母が、一戸建てを一つ提供したのである。
その家というのが変わっていて、二世帯住宅に似ているが、それよりもさらにはっきりと居住空間がわかれた造りになっている。玄関を別にして、トイレも風呂もついた、丁度ワンルームマンションのような独立した構造が、一階部分に二つある。将来的にはこれを人に貸して賃料をとり、生活費の足しにするつもりらしいが、当面はうちの三男が住むことになっている。そして空いているもう一つの構造部分に、僕が住んだらどうだろうと、母は言うのだ。
母のそばで暮らすのに、抵抗がないではなかったが、今更僕にこだわるような体面もプライドもあるでもなし、結局のむことにした。
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