「敦啓、毎日これなの?」
中居は思わず、隣にいた佐藤敦啓に尋ねた。
「毎日これだけど、いっぱいいすぎて何も言えない」
これから小田急線に乗って地元の藤沢まで帰ろうとしていた。
一緒にいる二人の周りを、400人近い群衆がずっと取り囲んでいる。
デビュー曲『STAR LIGHT』に続いてセカンドシングル『ガラスの十代』でも見事オリコン初登場1位を獲得した光GENJIは、1988年3月の『パラダイス銀河』発売をもって、いよいよ本格的なブレイクを迎える。
中居はジャニーズ事務所に入った直後からすでに敦啓と仲が良かった。中学が隣同士で、年齢は中居の方が1つ上だが、芸能活動は敦啓の方が半年先輩。どこか居心地がよく、Jr.の頃からレッスンが終わると、自然と一緒に地元まで帰るようになっていた。
しかしあの時スケートリンクに通い続け、先に光GENJIとして華々しいデビューを飾った敦啓の日常は、それまでと何もかもが変わっていた。
グループはスケート靴を脱ぐ暇もないほど毎夜どこかの歌番組に出演し、朝は電車が停まるたびに20人、40人、80人とどんどん増えていく追っかけに囲まれながら、学校へと通う。
レコード店からは入荷とともに光GENJIの作品が消え、履いていたローラースケートは、ついに生産が間に合わないほどの大ブームとなっていた。
「かわいそうになぁ……って思いながら、でも俺はどこかで、うらやましいなって。誰もついて来ないからね」
しかし一度デビューし損ねた中居を含めて、社長のジャニー喜多川はこの熱狂の機を逃すまいと、すでに次なる秘策を温めていたのだ。
「ローラースケートの後は、全国をスケボーで駆け巡る! 絶対YOU当たるから」