「ランナー発表見て泣きそう」との声
「愛は地球を救う」と言い続ける日本テレビの『24時間テレビ』には、あたかもbotのように揶揄が向かうようになったが、いや、それでも物申さねば、との使命感が消えない人も多かろう。私もその一人だ。今年はマラソンランナーを当日発表としたが、番組が始まってもなかなかランナーが発表されなかった。その先延ばしっぷりを伝える記事「24時間TVランナー発表に『引っ張りすぎ』とネット上 『ブルゾン頑張れ』の声も」(デイリースポーツ)に目を通す。
無理やりな両論併記タイトルに失笑するが、本文には「ブルゾンが今年ブレークしたことから『ランナー発表でめちゃくちゃ感動した』『ランナー発表見て泣きそう』」などの声もあった、とある。この称賛って、もしかして新手の苦言だったのだろうか。どうやら、『24時間テレビ』を素直に堪能できる人って、もはやランナー発表だけで泣けるのである。だとすれば、ランナーを発表した直後に「サライ」を歌ってフィナーレにしてもオマエら泣くんでしょ、という強烈な皮肉が込められていたのではないか。
年始の箱根駅伝と晩夏の24時間マラソン
とにかく一日中走る、めっちゃ長い距離を走る、というチャレンジがなぜここまで「感動の定番」として膨張したのだろう。箱根駅伝にしろ、オリンピックなどの大きなマラソン大会にしろ、その実況・解説には、走者の人生が否応無しに盛り込まれる。そもそも、何年もかけて1回の試合に備えるスポーツ選手の葛藤を、「早く週末になんねぇかな。今日木曜日だと思ってたら水曜日だった。マジ最悪」などと短いスパンで生きている私たちに想像できるはずもないのだが、マラソン中継はどうしたって競技時間が長いので、ランナーの人生についての情報が多分に注ぎ込まれることになる。