人生の「笑い飛ばし方」がわからなくなったあなたへ
『高慢と偏見』ジェイン・オースティン(筑摩書房)1813
立派で完璧な人生 VS 笑えて許せる人生
世界でいちばんおもしろい古典小説。実は、月9ドラマも今時放映しないくらいベタベタなラブ・コメディなんです。#海外文学 #18世紀のイギリスの田舎が舞台 #世界でもっともおもしろいラブ・コメディ #ちくま文庫の翻訳が大好きです #お金持ちと結婚するか?イケメンと結婚するか?って永遠の議題 #映画・ドラマも素晴らしいですよ(BBCドラマのコリン・ファース演じるダーシーがカッコいいのなんのって)
《人生を狂わせるこの一言》
「われわれは何のために生きているのかね? 隣人に笑われたり、逆に彼らを笑ったり、それが人生じゃないのかね?」
『高慢と偏見』という小説を通して、オースティンが、私たちに言う。
こう言われると、私は口をつぐんでしまう。
だって私はいつも、できるだけ人に笑われないように、恥をかかないように、可能なかぎりまっとうに、世の中から外れないように生きているつもりだから。——もちろん、そうしようと思ってもそれができないのが現実なのだけど。
読書は優れた人格を育むもの、本をたくさん読むのはえらいこと……そんなふうに言われるようになったのは、いつからだろう?
学校ではっきり教えられた覚えはないけれど、「本をたくさん読む」と言うと、ほめられることが増えた。
優れた精神、品格のある人間性、教養深い知性。読書、ことに「古典」と呼ばれる本を読むことはそんな立派な人間になるための手段なのだ、と言われることがある。「19世紀のイギリス小説が好き」と言うだけで、教養があって難しいことを知っている人だ、と思われることがある(実際はそんなことないけど)。
たしかに知識があって優しい人に好きな本を聞くと、古典と呼ばれる本を挙げることがあって、わーやっぱり、と期待を裏切らないチョイスに歓声をあげるときもある。
しかし、私は思う。別に「古典」と呼ばれる作品を読むことは、立派な人間になることにつながるわけではない。
違う。逆だ。
古典と呼ばれる作品は、いかに人間が立派でないか、立派になることができないのか、を教えてくれるから古典たり得る。
そしてそんな古典を読んだ人は、いかに人間が立派でないかを知るから、それを知らない人よりもちょっとほかの人にやさしくなることができるのだ。
月9ドラマも今時放映しないくらいベッタベタなラブ・コメディ
この『高慢と偏見』という小説。18世紀のイギリスが舞台で、舞踏会とティータイム、富豪の跡取りと結婚適齢期の女性が出てくる物語だ。
基本的に「古典」「名作」と呼ばれる類の文学なのだけど、現代日本にいる私たちが読んでもけらけらと笑える。ほんっとーにおもしろい小説なのだ。ちなみにあの夏目漱石大先生も絶賛している。
しかしここに描かれているのは、ご立派な訓示でも生死を巡る葛藤でもない。
描かれるのは「結婚させたい親と、結婚したい娘さんと、その相手となるかもしれない男の人」という、月9ドラマも今時放映しないくらいベッタベタなラブ・コメディなのだ。
たとえばこの会話を読んでほしい。田舎に住み、頭はいいが美貌は持っていない主人公エリザベスと、そこへ越してきた愛想のないお金持ちの青年ダーシーが話す場面。
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