本を読んで、人生が狂う、とはどういうことか
あなたは、本を読むこと、好きですか? 私は、本を読むことが好きです。
だけど読書が趣味かと言われると、すこしだけ首を傾げてしまいます。毎日本を読んでいるけど、これが趣味かと言われても、ピンと来ない。趣味って、もっと楽しくて気楽なもんじゃないかなって。
——じゃあ読書ってあなたにとって何なの? そう聞かれると、私はこう答えます。
私にとって、読書は、戦いです。
……今、ちょっと笑いましたか? いや、本当ですよ。私は大真面目に言っているんですよ。
私にとって、本を読むことは、自分の人生を賭けて戦うこと以外のなにものでもないです。
……よくわかんないこと言い出したと思われそうなので、説明のためにすこし自分の話をさせてください(個人的な話で恐縮です)。
私は小さい頃から絵本や物語に触れることが大好きで、読書はいちばんの現実逃避方法でした。
本を読めば、違う人間になることができる。うっとりするような世界に自分も入ることができる。めんどくさくて思いどおりにいかなくて怖いことだらけの現実や自分と違って、本の世界は、安全で、深くて、楽しい。
が、そのまま本が好きな大人になり、あるときふと気がついたのです。
「あれ、私の現実の人生、本によって狂っちゃってない……?」
人生を振り返ると、自分で思いもよらなかった選択をするとき、いつも傍らには本がありました。
たとえばある本をきっかけに、将来の仕事がないと言われる学部への受験を決めたり。ある本についてもっと知りたくなって、就職活動をやめ、大学院への進学を決めたり。
待って、私の人生のレール、どこ!?
不思議です。
わたしはあんなに「現実」から離れたくて本を読んでいたのに、いつのまにか、読んだ本によって、「現実」そのものを変えられてしまっているようなのです。
村上春樹の『アフターダーク』が教えてくれたこと
なぜ? いつのまに現実と本がリンクしたのだろう?
私がこの疑問の答えを知ったのは、『アフターダーク』村上春樹(講談社文庫)という小説を読んだときでした。
——3人の若い兄弟が嵐に流され、ハワイのある島にたどり着いた。高い山が中央にそびえ立つ、美しい島。その晩、3人の夢の中に、神様が現れる。
「海岸に三つの岩があるから、その岩をそれぞれ転がして、好きなところへ行きなさい。どこまで行くかは自由だけど、高い場所へ行けば行くほど、世界を遠くまで見わたすことができる」。
翌朝3人は言われたとおり岩を転がし、進んだ。けれどそれはとても大きく重い岩で、坂道となると転がしてゆくのはさらに大変なことだった。
最初に、いちばん下の弟が止まった。「兄さんたち、俺はもうここでいいよ。ここなら魚もとれる」。続いて、次男が山の中腹で止まった。「兄さん、俺はもうここでいいよ。ここなら果実も豊富にある」。上の兄だけが、どんどん狭く険しくなる道をほとんど飲まず食わずで山のてっぺんまで岩を押し上げた。
頂上から世界を眺めた。彼は、誰よりも遠くの世界を見わたすことができた——が、彼がたどり着いたその場所は、荒れ果て、水も食べ物も十分にない場所だった。
だけど長男は後悔しなかった。彼は、世界を見わたすことができたから……。
『アフターダーク』の中で、この話から得られる教訓は、と主人公は続けます。
「何かを本当に知りたいと思ったら、人はそれに応じた代価を支払わなくてはならない」。
「ハワイにまで来て、霜をなめて、苔を食べて暮らしたいとは誰も思わないよな」。「でも長男には、世界を少しでも遠くまで見たいという好奇心があったし、それをおさえることができなかったんだよ。そのために支払わなくちゃならないものがどんなに大きかったとしてもさ」。
「本」は「神様」に似ている
本は、この話の「神様」によく似ています。
本はいつも「ここまで来れば、こんな世界を見られるよ」って教えてくれます。とても詳細に、魅力的に。
だけどそこに自分がたどり着くのは、現実世界では、案外きつい。
正義のヒーローの話はおもしろい。主人公が成長する話はかっこいい。だけど、自分が現実でヒーローになったり成長したりするにはそれなりの苦労と時間が必要です。哲学書を読むのは楽しいけれど、本当の意味でそれを理解するには積み上げた知識を必要とします。
ふつうはそんな苦労したくない。現実と物語は違うし。
だから私は小さい頃、「そうか〜そんな世界もあるのか〜いいな〜」って微笑みながら本を読んでいたんですよね。神様に、その世界の風景を魅力的に語ってもらうだけ。
だけど、怖ろしいことに、たまに「運命の神様」に出会うことがあります。
それはもう、運命の人に出会う、みたいなもので。うひゃぁって声が漏れてしまうような、世界でいちばん素晴らしい物語に——怖ろしく魅力的にその山の頂上の景色を語る、「こっちおいで」って囁く神様に出会うことがあります。
そのとき、私は戦います。その神様と。
「いや、私は人生こう生きてるんだから! 簡単にこの場所から動いたりしないんだから!」「ハワイに来てまで岩転がしてたまるかっコスパ悪いんじゃっ!」
人生を賭けて神様の誘惑と戦うんです。「あなたにわ私の人生、変えられてたまるかー!!」って叫びながら。
だけど。
負けるときは負けます。その本にどうしようもなく引っ張られてしまうときがあります。惚れたもん負けです。あ〜〜〜私の負けです。わかった、惚れました、って全面降伏。
こうなってしまえば私の人生はその本のものです。その本をもっともっともっと理解したくなるし、その本に背くような人生は送りたくない、って思っちゃう。
私も、あなたが言うことをもっとちゃんと知りたい。
あなたが見た景色を見てみたい。
それがたとえ、重い岩を狭い坂道で転がしてゆくことであったとしても。
あなたのところまで行ってみたいって。
本に人生狂わされる、ってつまりはこういうことだと思うんです。
まともで快適な場所を離れるのはきついけど、でも、その本を愛しちゃったからしょうがないですよね。
完全にバカな男に引っかかった女の言い分ですが、今さらその恋を見過ごすことなんてできないし。だって、自分に嘘つくことになっちゃうもの。
私は誠心誠意、その本を理解するために、そんな本を愛するために生きるのです。
「狂う」って、「世界の規範から外れる」ことだと思うのですが、どうしても社会や世界に流されることのできなくなる本たちを選んでみました
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今言ったような読書人生を送ってきた大学院生兼書店員ですので、これから本をご紹介したいんですけど、ええ、絶対読め、なんて口が裂けても言えません。
というか言っておきますが、本を本気で好きになったら、バカな男に引っかかったバカな女になる(※あくまで比喩)可能性も増えるし、まっとうで快適な人生を手放す可能性が増えます。世界の読書推奨人たちはそのことをわかってんのか、と私はたまに苦笑します。
……とはいえ、だけど、でも、叫ばずにはいられない。
「この本、おもしろいよ〜〜〜〜!」って。
だって、どんなにまともさを手放しても、人生狂っちゃうくらいおもしろい本に出会えることは幸せなんだもの。
長い前置きになりました。
役に立つとか立たないとかよりも、もっともっと大きな、遠くを見させてくれる存在として、「本」に触れていただけたなら。これから生きてくけっこう大変な人生を、一緒に戦ってくれるような本を、見つけていただけたなら。
私としては、これ以上幸せなことはありません。
一緒に、本を、物語を愛して生きていきましょうねっ。
三宅香帆
明日から、1日に1つずつ「人生を狂わす本」を紹介していきます。
1作目は『高慢と偏見』ジェイン・オースティン(筑摩書房)1813
立派で完璧な人生 VS 笑えて許せる人生
ー人生の「笑い飛ばし方」がわからなくなったあなたへ
世界でいちばんおもしろい古典小説。実は、月9ドラマも今時放映しないくらいベタベタなラブ・コメディなんです。#海外文学 #18世紀のイギリスの田舎が舞台 #世界でもっともおもしろいラブ・コメディ #ちくま文庫の翻訳が大好きです #お金持ちと結婚するか?イケメンと結婚するか?って永遠の議題 #映画・ドラマも素晴らしいですよ(BBCドラマのコリン・ファース演じるダーシーがカッコいいのなんのって)
下記は、今後、書評をまとめながらご紹介していく「人生を狂わす名著50」のリストです。
ご興味のある方は、先にリストだけでも覗いてみてくださいね。
1/50『高慢と偏見』ジェイン・オースティン
― 人生の「笑い飛ばし方」がわからなくなったあなたへ
2/50『フラニーとズーイ』J . D . サリンジャー
― 世に溢れかえる承認欲求にうんざりしているあなたへ
3/50『眠り(『TVピープル』所収)』村上春樹
― 村上春樹をまだ読んでいないあなたへ
4/50『図書館戦争』有川浩
― 新しい仕事や新生活を始めた「新人」さんへ
5/50『オリガ・モリソヴナの反語法』米原万里
― 「語られない歴史」が好きなあなたへ
6/ 50 『スティル・ライフ』池澤夏樹
― 都会とか現代とか、「忙しさ」にちょっと疲れたあなたへ
7/50『人間の大地』サン= テグジュペリ
― 手の届きそうにない何かに出会ったことがあるあなたへ
8/50『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド
― この世のロマンチストな男の人全員へ
9/50『愛という病』中村うさぎ
― 「女という性」がよくわからなくなってきたあなたへ
10/50『眠れる美女』川端康成
― 自分の変態度をグレードアップしたいあなたへ
11/50『月と六ペンス』サマセット・モーム
― 小説家や画家に頭が上がらないと思っているあなたへ
12/50『イメージを読む』若桑みどり
― 旅行に行っても美術館をちっとも楽しめないあなたへ
13/50『やさしい訴え』小川洋子
― 静かに感情の波に飲み込まれたいあなたへ
14/50『美しい星』三島由紀夫
― 本気の美しさを見たいあなたへ
15/50『死の棘』島尾敏雄
― 結婚前(後)に夫婦の真髄を知りたいあなたへ
16/50『ヴィヨンの妻』太宰治
― 太宰治の言葉に殺されたい人へ
17/50『悪童日記』アゴタ・クリストフ
― 残酷でタフな世界を生きる小さいあなたへ
18/50『そして五人がいなくなる』はやみねかおる
― 「本」のおもしろさをまだ知らない子どもたちへ
19/50『クローディアの秘密』E . L . カニグズバーグ
― 冒険じゃない冒険を求めている、自称子どもたちへ
20/50『ぼくは勉強ができない』山田詠美
― カッコわるい大人にはなりたくないあなたへ
21/50『おとなの進路教室。』山田ズーニー
― 大人になっても、「これから」に迷っているあなたへ
22/50『初心者のための「文学」』大塚英志
― 教科書に載っている文学作品って何がおもしろいの? と思うあなたへ
23/50『妊娠小説』斎藤美奈子
― 新しい読書ジャンルを開拓したいあなたへ
24/50『人間の建設』小林秀雄・岡潔
― 「難しい話」に背伸びしてみたいあなたへ
25/50『時間の比較社会学』真木悠介
― 生きるとか死ぬとかってけっこう虚しいよなぁと思う人へ
26/50『コミュニケーション不全症候群』中島梓
― 社会に適合するのってむずかしいと思うあなたへ
27/50『枠組み外しの旅「個性化」が変える福祉社会』竹端寛
― どうせ変わりっこない、なんてほんとは思いたくないあなたへ
28/50『燃えよ剣』司馬遼太郎
― 理想の「生き様」や「美学」を探している青少年たちへ!
29/50『堕落論』坂口安吾
― 「まともさ」や「綺麗事」に違和感を覚えるあなたへ
30/50『アウトサイダー』コリン・ウィルソン
― 人生に意味なんてないのでは……と絶望しはじめたあなたへ
31/50『ものぐさ精神分析』岸田秀
― 社会の幻想がつまらなく思えてきたあなたへ
32/50『夜中の薔薇』向田邦子
― 「言い過ぎてしまう自分」がいつも恥ずかしいあなたへ
33/50『東京を生きる』雨宮まみ
― 東京は自分の居場所だと思いたい、思えないあなたへ
34/50『すてきなひとりぼっち』谷川俊太郎
― 詩の世界に触れてみたいって思い始めたあなたへ
35/50『チョコレート語訳 みだれ髪』俵万智、与謝野晶子
― 日本語のおもしろさを知りたいあなたへ
36/50『ぼおるぺん古事記』こうの史代
― 日本の神話をいつか読んでみたいと思っていたあなたへ
37/50『百日紅』杉浦日向子
― 今まで読んだことのない漫画を読んでみたいあなたへ
38/50『窮鼠はチーズの夢を見る』『俎上の鯉は二度跳ねる』水城せとな
― 大人になってから恋を「してしまった」あなたへ
39/50『二日月(山岸凉子スペシャルセレクション8)』山岸凉子
― 少女漫画の深淵を覗きたいあなたへ
40/50『イグアナの娘』萩尾望都
― 消せないコンプレックスを持つ女へ
41/50『氷点』三浦綾子
― 「愛」って何か、ずっと知りたかったあなたへ
42/50『約束された場所で』村上春樹
― 日本の、いや「私たち」の闇について知りたいあなたへ
43/50『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ
― 恋愛で「重すぎる」「軽すぎる」自分に嫌気がさしたあなたへ
44/50『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー
― 自分の「間違い」を認めることが苦手なあなたへ
45/50『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ
― 本当は、自分に正直に生きていきたいあなたへ
46/50『光の帝国―常野物語』恩田陸
― 「善き物語」に触れたいあなたへ
47/50『なんて素敵にジャパネスク』氷室冴子
― 本を読んで、とにかく元気になりたいあなたへ
48/50『恋する伊勢物語』俵万智
― 古典をもっとおもしろく読みたいあなたへ
49/50『こころ』夏目漱石
― 自分って実はめっちゃワガママな人間なのでは……と思い始めたあなたへ
50/50『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ
― この世でいちばん切ない小説を読みたいあなたへ