僕はほとんどわけがわからなくなりながら、ただタミさんを起こしてはいけないと、こんな状況なのに何故かそんなことが気になって、そっと真赤のパジャマの裾をつまみ、引っ張った。
すると彼女はううんとうなり声をあげる。もう二回引っ張って振動を与えると、ようやく目を覚ます。そして僕の顔を見つけ、驚きに目を見開く。
僕は降りるようジェスチャーで伝え、彼女は怯えながらそれに従った。かろうじて着衣は乱れてはいなかったけれども、だからといって何の保証にもなっていないのはわかっている。
リビングルームまで連れて来ると、僕はそこで真赤を殴った。まるで手応えがない。逃げようとする真赤の薄っぺらいパジャマを掴み、引き倒し、もう一度殴りつけてみても、ぴんぴんとしていて効いた様子がない。大の大人が華奢な少女を、手加減なしで殴っているというのにどうしてこんなに効き目がないんだ? 薬のせいか? 疲労のせいか? まるで夢のなかでもがいているように、体の動きが鈍く、ちぐはぐだった。子供の時は引っ越しばかりしていたので、地元のやつとよく喧嘩になった。あの頃は、こんな感じじゃなかったのに。もっとうまく殴れたのに。
無我夢中で彼女を叩いたけれど、結局僕の息が先に上がって、その隙に逃げられてしまう。真赤は鼻血で汚れた顔に恐怖の色を浮かべて僕を見る。追う姿勢を見せると、裸足のまま玄関から外へ駆けて行った。
僕はのろのろと立ち上がり、キッチンで水を飲み、それからスニーカーを突っかけて部屋を出た。真赤はマンションの前のところで、見知らぬ人からティッシュを受け取り、それを顔に押し当てている。親切な誰かが介抱してくれているのだろう。それを確認すると、僕は来た道を引き返した。
精神も体も鉛のように重かった。部屋に戻るとマットレスに倒れ込み、目をつむる。そして眠りに落ちる間際、救急車のサイレンの音を聞いたような気がした。あれは、真赤を連れに来たのだろう。
絶望感と共に目を覚ました。部屋のなかは朝と同様静かだった。起き出して、オシノさんとタミさんがいないのを確認する。どこかへ行ってしまったのだか知らないが、僕一人しかいないのなら好都合だ。
僕はトイレで用を足すと、リビングに置いてあるカラーボックスからLANケーブルを一本取り出した。そして部屋に戻り、引っかける場所を探す。
丁度良い高さでそれらしいものと言ったらカーテンレールくらいしかなかったけれども、あれに人間の体重を支えるほどの強度がないのは真赤が実証済みだった。あいつの失敗がこんなふうに役に立つとは思わなかった。あ、確か、見上げるほど高くなくとも、腰が浮くくらいの高さがあれば十分なのだっけ? どこかで、聞いたことがある。
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