反脆弱性・歩く・マネーマーケット

お久しぶりの「新・山形月報!」、今回はナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性』『ブラック・スワン』(ともにダイヤモンド社、上下)を中心に、キャス・サンスティーン『最悪のシナリオ』(みすず書房)、レベッカ・ソルニット『ウォークス』(左右社)、ジョン・ケイ『金融に未来はあるか』(ダイヤモンド社)などを取り上げます。

ご無沙汰。このcakesの他の連載陣を見ていると、どうもぼくのこのコラムがずいぶん場違いに思えて、今ひとつ書く意欲を失っていたというのがある。もっと身の上ばなしとか芸能ネタとか、お気軽な感想文とか、そんなのほうが需要あるんじゃないかなあ。そうはいっても今回復活したのは、別にそういう方向に中身を転換したわけではなく、相変わらず昔通りではあるんだけれど。

で、久々のコラムで少し大物をやるかと思って、ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性』(ダイヤモンド社、上下)を手に取ったんだけれど……ごめんね、ぼくにはそんなにすごい本だとは思えなかった。というより、ぼくとは相性が悪かったというほうが正確かな?


反脆弱性[上]—不確実な世界を生き延びる唯一の考え方

タレブというと、例の『ブラック・スワン』(ダイヤモンド社、上下)の人だ。それがずいぶん世界的に話題になって、おかげでタレブの名が知れわたったんだけれど、ぼくにはあまり大したことを言っている本には思えなかった。要するに、ときどき予想外のことが起こりますよー、というだけ。それも知っている現象で予想外に規模が大きいものが起きるばかりではなく、全然予想もしなかったことが起きるよ、という話。うん、そうだねえ。それで?

たまたま、この本の原書はリーマン・ショック直前あたりに出たので、まさにその発生原理を言い当てた、みたいな不当に高い評価が出回り、ずいぶん得をしたと思う。そしてまた、『ブラック・スワン』が新しい学問的知見をそこそこおもしろく表現しているのは事実だ。でも、それが自身のすごい慧眼による、他のだれも気がつかない発見なのだとしつこく言われると—しかも分厚い本上下巻にわたってだと—うんざりする。

そうした点については、拙訳ジョン・クイギン『ゾンビ経済学』(筑摩書房)でも言及されている。その評は以下の通り。

限定合理性と認識不在に関する文献はまだ草創期だし、専門家以外は読んでもちんぷんかんぷんだろう。それを通俗化したいちばんよい本はTaleb (2007) [注: タレブ『ブラック・スワン』] だが、著者は自分に特別な洞察があると主張するものの、他の経済学者はだれもそれを認めていないので、眉にツバをつけてかかるべきだろう。

その通りだと思う。

で、『反脆弱性』は、そのタレブの新作だ—といっても原作が出たのは2012年ではあるのだけれど (そんなにむずかしい本ではないのに、なぜこんなに遅れたのかはナゾ)。が、正直言って、あまり代わり映えしない。世の中、なんでも予測可能で計画し管理できると思っている、学者とか役人とかビジネスマンとかいうクソバカな連中がいる、とタレブは批判する。でも実際は、世の中の出来事は正規分布ではなく、外れ値のでかい事象がいつドーンとやってきて、これまでの常識をひっくり返さないとも限らない。だから、予測可能なことしか考えない連中や、そいつらの作る仕組みは脆い。その予想不可能な事象が起きる確率は、わからない(それがほぼ「予想外」の定義だもの)。だけれど、それが起こった場合の影響はわかる。原発の事故は、めったに起こらないかもしれないけれど、起きた場合の被害はすさまじい(とタレブは言う)。金融危機は、確率はわからなくても起きたときの危険は大きい。

だから、そんな知ったかぶりの予測なんか信じてはいけない、とタレブは言う。そういう連中の考える仕組みは脆弱で、予想外のことが起きた瞬間に崩壊するんだって。しかも、そういう脆弱な仕組みを考える役人や学者どもは、後付けで「いや自分はそういう予想外のことを予想していた」と言い出すので、その危機を採り入れることもできず、なおさら始末におえないとタレブは言う。

じゃあどうしろと? ほとんど起きず確率もわからないけれど大きな被害のある事象については、徹底的に臆病になって、一方でそうした予想外の影響がプラスになる現象については積極的に取りにいけ、という。普通の連中は、まったく安全な資産から、だんだんチマチマと中リスク中リターンなものに資産を広げていくけれど、どんな及び腰じゃだめで、ガチガチに安全な資産を大量に持ち、ごく一部はものすごい低確率ながら大プラスに転じそうなところに突っ込んむ。リスクの両極端を保有するので、タレブはこれをバーベル戦略と呼ぶ。そうやって、予想外のブラック・スワンのマイナス面を避け、プラス面を活用できる仕組みが反脆弱、アンチフラジャイルなんだって。

んでもって、実は自然や古くからの人間の習慣は、経験則(ヒューリスティクス)という形で知らないうちにそうした反脆弱な仕組みをやってきた。だから目新しい話に飛びつかず、わかんないことがあったら昔からの習慣とか常識とかヒューリスティクスに従うのがいいよ、という。

さて、ぼくはこの本に書いてあることが、ことさらまちがっているとは思わない。確かにそういう部分はあるだろう。それに、本書によれば、ぼくはずいぶん時代を先取りした反脆弱性の権化ということになるので、なんともこそばゆいところ。本をたくさん持ってる自由人が反脆弱? つまみ食いのブリコラージュ屋が反脆弱でえらい? いやあ、ぼくのことですか、照れるぜ。ほめられるのは嬉しいことだ。でもその一方で、ふだんのぼくは売上げがたたずに結構トホホな状況というのも事実。プラスのブラック・スワンを活かせるのはいいことだけれど、それは定義からして、滅多に起こらないことなので、それだけではなかなかやっていけないのだ。さらにぼくは、タレブ当人ですら自分のご大層な説教を実践できているとは思わない。

予想外の事態が起きてその被害が大きければ、それに対しては徹底的に臆病になれ、という。ふーん。つまり外を歩いていて、隕石や雷が落ちてきて死ぬ可能性はきわめて小さいけれどゼロじゃないよね? 通り魔に刺されたり撃たれたりする可能性は、それよりはるかに大きいよね。そしてそれが起きたらもう自分は一貫の終わりだ。するとそれに対しては徹底的に臆病になるのがいいってこと? 完全防護服で歩くか、いや外にまったく出ないほうがいいかも。さて、タレブはそんなことしてるんだろうか?

たぶんしてないと思うんだ。いまのはちょっと戯画化したけれど、それでも低確率だけど起こったら大変な事象なんていくらでもある。でも、ぼくたちはそんなものを心配しない。タレブの依拠するヒューリスティクスとやらも、そんなものは心配していない。ヒューリスティクスを言語化した故事成句に「杞憂」というのがある。ブラック・スワンの大半はこの杞憂のたぐいだ。後付けであれこれ書けば、いかにもタレブは慧眼に見えるけれど—でも本当にそうなのだろうか。そして、そんな偶発事は心配しても仕方ないから、もう少し起こる可能性があるものについてだけ考えればいいというなら—それはつまり、結局発生確率を考慮するという話じゃないだろうか。

ちなみに、そうした低確率だけれど被害の大きいリスクにどう対処するかについてはキャス・サンスティーン『最悪のシナリオ』(みすず書房)を参照。これはまさに、そういう事象でもきちんと考えて予防や対策を採ろうという本だから、たぶんタレブにかかるとこのサンスティーンも脆弱論者(タレブはそれを「フラジリスタ」と呼ぶ)の権化だと罵倒されるんだろうけれど、でも結局のところ、ぼくたちはなんらかの発生確率見通しをもって、将来に備えるしかない。タレブっぽい物言いは、予言者めいているので、かっこよく思う人がいるのかもしれない。でも、百年に一度の予測不能な事態があるからといって、そればかりを重視した仕組みを作ったり、それ以外の時期の予測できる現象を無視したりするのは変だ。できる範囲で、確率を考え、被害想定をしつつ対処するしかない。


最悪のシナリオ— 巨大リスクにどこまで備えるのか

サンスティーンは、人々が突発的で目立つ事象に注目し、過剰反応するという行動科学/行動経済学の知見を援用しつつ、それを考慮したうえでどんな政策対応をすべきかについて検討する。その基本は、できる限りの範囲で予測した発生確率に基づく費用便益分析だ。それに対して「確率がわからないブラック・スワン事象もある」という批判は、事実だけれど、でも役には立たない。人は、いつ起こるかわからないことに怯えて暮らし続けるわけにはいかないんだから。わかる範囲でできる限りのことをするしかないんだから。

そしてタレブが本書で「オレはわかってた」「あいつらはこれがわかってないのは脆弱な連中だ」と言いつのるほとんどが、ぼくには後付けの岡目八目に思える。また、その発言も説明不足の放言に見えてしまう。たとえば、この人の罵倒する一人が、大経済学者のスティグリッツだ。タレブにかかると、スティグリッツは後から自分の発言を変えて、しかも記憶まで捏造して「自分の指摘した通りだ」と開き直るインチキ野郎ということになるんだが……具体的にどういう発言についてそう思っているのか、タレブは本文中で明記しないんだ。なんでも金融危機の話らしいんだけど。

でも、ぼくはスティグリッツが、自分は金融危機を予測していたなんて豪語しているものを読んだことがない。そしてまた、スティグリッツだって(そしてタレブが罵倒する人々の相当部分だって)自分たちの理論やモデルがすべてを予測できているとか、完全にすべてを計画し尽くせているとは思っていないはずだと思う。いや特にスティグリッツは、そういう大理論の人ではないはずなんだけどね。

そして本全体が、無意味な自慢のオンパレード。二言目には、オレがオレがと出てくる。金融もオレのほうがだれより見通していた、医療もインチキな医者どもよりオレがすぐれてる、インターネットのウェブの可能性もオレは見通していた、ニューヨークの橋を映画撮影で通行止めにさせた当局よりオレが交通を理解してる、あーだこーだ。ボディビルしました。古来のワインとかコーヒーしか飲まないぜ。最近の果物は品種改良されてるからよくないぜ。オレはちゃーんとそれがわかってるのに、医者どもは無知でフラジリスタだから信用できないぜ。技術屋なんか視野の狭いオタク集団だぜ。オレはおめでたい学者をこんなに出し抜いてやったぜ。

いやあ、すごいですねえ。でも、ぼくも頼りにしている古来のヒューリスティクスがあって、自慢ばかり多いヤツは信用するな、というんだ。読めば読むほど本書は自慢まみれでうんざりしてくる。信者なら「タレブ様ってすごいわ!」と本書を読んで感銘を受けるのかもしれない。オレは本を読んでる、古典を見ている、といった自慢を見て、タレブが本当にえらいと思うのかもしれない。アラビア語ができるとかいうので感心している人も見かける。でも、ぼくはそうした自慢がほとんど本筋と関係ないと思う。それをなくせば、たぶん上下巻の無用に分厚い本は、30ページくらいで全部おさまるんじゃないかと思うんだ。

ただ、その(30ページでおさまるかもしれない)本筋の部分では、ちょっとはおもしろいことも言っているとは思う。完全にまちがった見当違いのことは言っていない。その意味で、ここでいろいろ論難したのはむしろその書きぶりとぼくの相性が悪い、ということなのかもしれないとは思う。こういうのが好きな人は好きなようだし。完全に上から目線で説教されるのにひれ伏すのが好きな人か、あるいは大口叩きを半ばお笑い的に愛でるのが好きな人は、ひょっとしたら大いに楽しめるかもしれない。その意味で、完全に捨て去るのもためらわれる面はあるので、うーん。

ちなみに、タレブは『反脆弱性』で、歩くことが何か重要ではないかというのを思いついて、それをずいぶん得意げに吹聴してる。そして確かに、歩くことは人間の文明にとっても思考にとっても、実に重要だ。だからひらめきはいいのかもしれない。でもそれを思いつきに終わらせず、きちんと展開し、調べていけば、まったく新しい世界が開けてくるのだ。それをまさにやってくれたのがレベッカ・ソルニット『ウォークス』(左右社)だ。そしてこれは、めっぽうおもしろい。歩くことが、思想にも都市にも社会にも大きな影響を与えたのを彼女は様々な文献や体験を元に明らかにする。


ウォークス 歩くことの精神史

彼女は東日本大震災の少し前に翻訳が出た『災害ユートピア』(亜紀書房)で知られる人だ。あの本でも顕著だった、完全に客観的でもなく、完全に主観的でもない、対象に寄り添うような書き方で自分自身の問題としても「歩く」という行為をとらえ、それを読者と共有しようとする文章はとても快い読後感を与えてくれる。彼女はタレブみたいに、自分が「歩く」ことの隠された意味に独力で気がついたようなことは言わない。でも、その洞察が思わぬ広がりを見せる驚きと喜びを、文を通じて共有してくれる。そして、その洞察が過去や現在の多くの論者とつながり、人間の文化そのものにつながる様子を素直な驚きとともに描き出してくれる。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

ケイクス

この連載について

初回を読む
新・山形月報!

山形浩生

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

nazenazeboy "タレブっぽい物言いは、予言者めいているので、かっこよく思う人がいるのかもしれない。でも、百年に一度の予測不能な事態があるからといって、そればかりを重視した仕組みを作ったり、それ以外の時期の予測できる現象を無視したりするのは変" https://t.co/s4TlGbq7co 4ヶ月前 replyretweetfavorite

hidekih 感想書いた。https://t.co/qC9grO09Xd 9ヶ月前 replyretweetfavorite

hidekih 感想書いた。 9ヶ月前 replyretweetfavorite

anqmb 言わんとすることは納得。だが、「100年に一度」は、例えば社会基盤にとってはかなり頻繁に起きる事象って意味にもなりかねないので適切じゃない気がする。 約1年前 replyretweetfavorite