リア充と非リア充の生態
今回のテーマは「充実した日々を過ごしたいが、リア充と思われるのは嫌」だ。
非リア充の朝は早い。早朝4時には起き、邪神像に向かい、リア充の爆発を祈る。
このように、特に理由のないリア充の爆発を祈りがちな非リア充だが、決してリア充爆発跡地に、リア充として居を構えたいと思っているわけではない、爆発を見届けたら、また非リア充の長屋に戻る。
つまり、充実しているやつは羨ましいし爆発してほしい。そして自分も充実はしたい。だがリア充には見られたくない、それはなぜか。
爆発を祈られてしまうからだ。
当たり前だ、自分がリア充の爆発を祈ったのと同じように、リア充になったら爆発を願われるに決まっている。たとえば「キラキラ女子」とかどうだ。羨望の目で見る人も憧れる人もいるとは思うが、妬みやすい人間から見ると、しゃらくさくて涙が出ちゃうのである。
つまりリア充になると、今度は特に理由のない妬み嫉(そね)みを受けるし「俺よりキラキラした奴に会いに来た」という、ヴィトンの道着に鉢巻をしめた、キラキラ女子にストリートマウンティングを挑まれ、ボコボコにされる恐れがある。つまり、充実はしたいが出る杭にはなりたくねえ、ということである。
それ以前、まず「充実した日々」を送るのが難しい。全然充実してないのに「リア充に思われたらどうしよう」と悩むのは、外に出て、ナンパされたらどうしようと、10日ほど出ていない部屋の中でパンイチで悩んでいるに等しい。