前編】与えられたチャンスをどう生かすか

サンフランシスコを拠点に国際的な活躍をみせる建築家・筒井康二さん。小さい頃から英語に慣れ親しむ生活をしていたのかと思いきや、30歳でロンドンに留学するまで、ずっと国内で活動していたと言います。筒井さんが日本から世界へとシフトできた背景には、アメリカ流の「チャンスを与える文化」の存在がありました。筒井さんの建築や働き方を通じて、「世界をめざす」ことについて考えるインタビューです。(聞き手:古賀史健)

30歳まで英語を話したことがなかった

— 筒井さんは、現在サンフランシスコに拠点を置いて、国際的に活躍される建築家です。また、カリフォルニア大学バークレー校で客員准教授も務められているそうですね。

筒井 はい。バークレーに関しては、いい機会だと思って楽しくやらせていただいています。

— そこで今回、建築についてはもちろん、筒井さんが海外に出ていかれた理由や「海外で働くこと」についても伺えたらと思います。建築については素人なので、初歩的な質問も出るかと思いますが、よろしくお願いします。

筒井 こちらこそ、よろしくお願いします。

— まず、率直な疑問です。海外に出て行かれたということは、もともと英語がお得意だったんですか?

筒井 いやいや、僕の場合、海外に出たのが意外と遅かったんですよ。30歳くらいでロンドン大学バートレット校の大学院に留学したのですが、それまでほとんど英語をしゃべったことがありませんでした。


— ええっ!? 30歳まで、まったくですか?

筒井 そうなんです。一緒に働いている外国人には内緒にしていますけど(笑)。

— ということは、30歳まで日本で活動されていた。

筒井 はい。僕が大学を卒業したのが1995年だったのですが、その1月にちょうど……。

— ……ああ、1995年の1月17日、阪神淡路大震災ですね。

筒井 そうです。あの震災によって阪神間にあった両親の実家や親戚の家も被災してしまいました。慌てて現地に駆けつけ、復興に関わる仕事がしたいと思っていたところに、たまたま安藤忠雄先生の事務所からお声をかけていただいて。それで6年間、震災復興住宅のプロジェクトをはじめ、安藤先生のプロジェクトを通して、勉強させていただきました。

— 当時から海外志向はあったのですか?

筒井 うーん。「海外で働く」ということについて具体的なイメージはなかったかもしれませんが、海外留学についてはずっと考えていました。特にロンドン大学にはおもしろい先生がいて、彼の下で学んでみたいと。
 もうひとつ、ちょうど日本国内でバブルが崩壊したこともあり、安藤先生の事務所でも海外のプロジェクトが増えていたんですね。それで、かなり早い段階から「今後は建築家の仕事も海外中心になっていくのだろうな」とは感じていました。これは安藤先生の事務所にいたからこそ、経験できたことだと思います。

— それでロンドンへ行かれるわけですね。

筒井 安藤先生の事務所を卒業したのが29歳のときだったので、ちょうど30歳くらいですね。

— 英語に関して、ご苦労は多かったでしょう。

筒井 受験英語で最低限の文法くらいは押さえていましたが、いちばん苦労したのは発音とアクセントですね。大学では座学の講義だけではなく、ディスカッションの時間も多かったので。発音に関しては、いまでも苦労しています。たとえばバークレー校で学生たちに教えるときも、発音の問題でうまく伝わらなかったりする。僕の発音がネイティブ並みになることはないのかもしれません。
 とはいえ、最近はそれほど深刻に考えなくなりました。特に米国の場合、多民族・多文化の社会で、5年単位くらいで「いま勢いのある民族」が変化していくんですよ。最近でいえば、やっぱり中国系の影響力が急激に伸びているし、サンフランシスコの中国人街では英語がほとんど通じなかったりする。
 だから僕も、そこまで英語にこだわる必要はないのかな、と。現在、僕の事務所には日本人スタッフが1人いることもあり、事務所内では日本語を使うこともありますし、英語を使うべき場面では英語を使っている感じです。

米国に行けば世界中で仕事ができる

— 話が前後してしまいますが、ロンドン大学への留学後、いったん日本に戻られたんですよね?

筒井 はい。2004年に東京に戻って、それから2006年まで日本で活動していました。

— 海外経験を経て、意識の変化はありましたか?

筒井 あらためて気がついたのは、東京がデザイン的に優れていること。ことデザインに関していえば世界のトップクラスにあるし、クリエイターと呼ぶべき建築家の数も多い。これはもっと誇るべきことだと思います。

— それでは、どうして米国へ?

筒井 なかなか表現がむずかしいのですが、日本って超成熟社会なんですね。どの業界でもそうだと思いますけど、コネクションがしっかりできあがっていて、新規参入のハードルが高い。結果、若い建築家たちは斬新なデザインを追い求めることで、なんとか注目を集めようとする。

— ああ。誠実でいい建築ではなく、奇抜なデザインが増えていくわけですね。

筒井 当時の僕にも、そういう側面があったのは事実だと思います。少なくともあのまま日本にいたら、もっと奇抜なデザインを追求していたでしょう。それで「これは自分の目指している建築じゃないな」と気がついて、もう一度海外に目を向けるようになりました。

— ちなみに当時の筒井さんは30代の前半。建築家としてのキャリアで考えると、この年齢での海外進出は早いのでしょうか、遅いのでしょうか?

筒井 まだまだ新人も新人ですよ。建築家は35歳から40歳くらいがスタートで、50代で働き盛りのピークを迎えて、60代になって大御所になるという感じでしょうか。もちろん個人差はありますが、これは世界的に同じですね。やはり扱う金額が大きいので、信用ありきの仕事になります。僕自身、40代に突入したばかりですから、ようやくスタートラインに立ったという意識です。

— 日本で育ち、日本でやってきた自分の建築が、米国に行っても通用するのか。不安はありませんでしたか?

筒井 もちろん不安はありました。でも、建物って人間のためにあるものですよね。そして世界のどこに行っても人間が人間であるように、求められる建築の姿も本質的には同じなんですよ。

— たしかに。人が住む、人が集うという観点で考えれば、国籍に縛られる必要はないんですね。

筒井 そう思います。それに日本のデザインは優れていますからね。

— それでは留学先だったヨーロッパではなく、米国を選んだ理由は?

筒井 まず、サンフランシスコ在住の建築家の方を紹介していただいた、というご縁があります。ただ、僕の場合は米国で建築をやりたかったから米国に行ったわけじゃないんです。米国で仕事ができるようになれば、世界のどこに行っても仕事ができる。もちろん日本でも仕事ができる。そのために英語圏をめざしたんです。特に建築の場合、米国と英国を中心に動いているグローバル・スタンダードが形成されているところがありますから。

— 具体的に、世界と日本の建築業界ではどんな違いがあるのでしょう?

筒井 日本とのいちばんの違いは、建築家の権限、もしくは責任でしょうか。たとえば建物に雨漏りがあった場合、海外では建築家の図面に責任があるということになります。他方、日本では建築家よりも建設会社が責任を問われるような雰囲気がある。それだけ世界では建築家の責任が大きいし、そのぶん権限も強いんです。

米国流の「チャンスを与える」文化とは

— 渡米後、日本とのギャップを感じることはありましたか?

筒井 いちばん驚いたのは、ミーティングかもしれませんね。たとえば、ある会社にインターンの学生が入ってくる。そして社長を交えてミーティングをする。日本だと、たぶん入ったばかりのインターン生が社長にガンガン意見するなんてことはありませんよね。でもアメリカでは、たとえインターン生であっても積極的に自分の意見を口にする。それは生意気なことではなく、情報共有のための大事なコミュニケーションなんです。
 もしアメリカのインターン生が打ち合わせでなにも発言しなかったら、3日で「もう来なくていいよ」となるでしょう。どんな素人でピント外れな意見であっても、とにかく発言することに意味がある。

— それは自己主張が強いということでしょうか?

筒井 自己主張という以前に、会議でみんなが積極的にしゃべるようになると、労働時間が短縮されるんです。

— えっ、労働時間の短縮?

筒井 無駄な仕事をしなくて済む、といえばいいのでしょうか。自分の抱えていた問題が、誰かの知識やアイデアによって瞬時に解決されたりするんですよね。経営陣の懸案事項について、ITに強いインターン生が「それって、このツールを使えばすぐにできますよ」と教えてくれたり、あるいは若手の悩みに対してベテラン社員が「あの人に電話したらいいよ」と教えてくれたり。非常に合理的で、他人をうまく使う文化があるんです。

— そうやって若手をミーティングに参加させるのは、若い人を育てようとしているのでしょうか?

筒井 いや、育てる意識はないと思いますね。スポーツが好きな方なら、野球のメジャーリーグを思い出していただくとわかりやすいでしょう。見込みがあると思ったら、とりあえず中心選手として10試合は毎回打席に立たせる。あるいは、10試合だけは先発で投げさせる。中途半端な代打要員にしたり、中継ぎで使うことがない。もちろん、結果が出なければそのまま解雇になりますが、「まずはチャンスを与える」という文化なのだと思います。
 だから若手たちも、与えられた打席で結果を出そうと、毎回必死になる。誰かに育ててもらおうという意識はほとんどありません。僕自身も、自分の打席で結果を出すべくがんばりました。

— 育てることはしない。けれど打席には立たせる。

筒井 それはプレイヤーに対するリスペクトでもあるでしょう。企業でも、チャンスを掴んだ部下が結果を出すようになると、上司と友人関係になりますからね。

 

<後編へ>

 

筒井康二(つつい・こうじ)
建築家。1972年東京都生まれ。東京大学建築学科卒業。安藤忠雄建築研究所勤務を経て、2004年にロンドン大学バートレット校大学院卒業。同年、筒井康二建築研究所を設立。2007年に渡米、以来サンフランシスコに拠点を置く。米国の若手建築家の登竜門である Design Vanguard 2011とArchitectural League Prize in New York 2012の2つを受賞、2009年 Global Holcim Awards, Finalist、 2011年World Architecture Festival住宅部門Winner、などの建築賞を数多く受賞し、2012年よりカリフォルニア大学バークレー校にて客員准教授を務める。
オフィシャルサイト: KOJI TSUTSUI & ASSOCIATES 

 

ケイクス

この連載について

世界をめざす、たったひとつの理由—建築家・筒井康二インタビュー

古賀史健

サンフランシスコを拠点に国際的な活躍をみせる建築家・筒井康二氏。小さい頃から英語に慣れ親しむ生活をしていたのかと思いきや、30歳でロンドンに留学するまで、ずっと国内で活動していたと言います。彼が日本から世界へとシフトできた背景には、ア...もっと読む

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コメント

kobashige 後生畏るべし  約5年前 replyretweetfavorite

kirik おもろいなw :  約5年前 replyretweetfavorite

sadaaki 「建築家は35歳から40歳くらいがスタートで、60代になって大御所になる」という話がおもしろいな。信用が大事な仕事か。/与えられたチャンスをどう生かすか|古賀史健| 約5年前 replyretweetfavorite

tommynovember7 キャリアの振り返りしかしてないのに、言葉の端々からこの人の考え方が理解できる。おもしろい。 約5年前 replyretweetfavorite