撮影・青木登(新潮社写真部)
松之丞は、一九八三年六月四日生まれ、豊島区池袋出身である。生家は母方の実家で、家族は両親と母方の祖父母、彼の四つ上の兄という三世代にわたっていた。中学のときに家が道路拡張工事で取り壊されることになり、同区内で引っ越しを体験するが、大学時代までの期間を松之丞は池袋周辺で過ごした。
「おやじは貿易の仕事をしてたみたいですね。僕のおやじのイメージは会社員で、課長、課長ってやたらと言われていたという。電話で『黄金のバナナが出来る』って話しているのを横で聴いていた記憶があります。当時有機栽培のバナナってなかったらしいんですけど、それを他社に先駆けて作ろうとしていた、という話だったみたいです。おやじの記憶は九歳までしかない。ときどきキャッチボールをしてくれる課長、ですね」
記憶が九歳で途切れているのは、父親が九歳のときに急に亡くなったからだ。
「おやじが突然いなくなって、母親がずっとおろおろしてたんですよ。こんなことは今までなかった、何かあったに違いないって。それから二日後に、図工でサルの人形を作ったんです。僕はすごい不器用なんですけど、親ザルと子ザルが抱き合って、ゆっさゆっさするみたいな。すごい出来がよかったから、これを見せれば母親はおやじが帰ってこなくても喜ぶに違いないって、子供だから思いました。で、その日帰ったら、母親が今までに見たことないような顔をしているんですよ。ちょっと話あるからって連れていかれたら、じいちゃんもばあちゃんも、兄貴もいた。そのときの光景も覚えてます。警察から連絡があって、お父さんが死んだ、と言われたときの、とりあえず実感はないんだけど、父親がいなくなったことだけはわかったというあの空気も」
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