どれくらいの穴なら靴下を履き続けられるか
オマエにオレの何が分かるんだよ、とか、アナタにワタシの何が分かるって言うの、という口喧嘩は、今この瞬間も世界のそこかしこで勃発している。理解している・していないを巡る小競り合いが、そのうち大きな競り合いに膨らんで、ぶっ壊れ続けている。それにしても、人が人を完全に理解することなんて可能なのだろうかと、いつも思う。たとえば昨日の自分が考えていたことすら、今日の自分が完全に理解しているはずもないのだから、理解ってなんだよ、分かるってなんだよ、そんなのそもそも不可能なんじゃないのか、と頭を悩ませてしまう。
だからこそ人は、他人を理解するために、条件を並べたがる。出身地かもしれないし、好きな映画かもしれない。或いは、カレー味のウンコとウンコ味のカレーのどっちを食べるかといった「選択」をさせたり、靴下に空いた穴がどれくらいまでなら履き続けられるかという「程度」を問いかけたりする。その「選択」や「程度」が近しいと、ワタシとアナタは仲良くやっていけるかもしれない、と思ったりするのだが、1センチくらいの穴が空いていても履くよね、で同意していたのに、やがて一方が「この靴下、もう捨てたほうがよくない?」と言い始め、やっぱり小競り合いが生じ、いくつかの要素が重なって大競り合いに発展していく。人付き合いがぶっ壊れた後になぜぶっ壊れたのかを尋ねると、人は大抵「なんかムカついて」や「なんかもう許せなかった」と、「なんか」を使う。人間関係はこうして、「選択」や「程度」の曖昧なズレの蓄積によって豪快にぶっ壊れるのである。
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