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言えない、けど、話したいこと、抱えて生きるあの感じが、「さみしさ」の正体なのかもしれない。今回ご紹介するのは、同性の恋人を亡くされ、彼女が恋人だったのだと言わずに友人として葬儀に参加した数年後の今、周囲に「婚期逃すよ」「子供欲しくないの?」などと言われている、という方からのご投稿です。
牧村さんこんにちは。大学生の女です。
亡くなった恋人のことをいつまで引きずってよいか悩んでいます。
高校生の頃からお付き合いをしていた女性がいたのですが、数年前に持病の発作で亡くなりました。 田舎町ゆえか同性愛への理解がある人が互いの家族を含めいなかったのと、彼女の希望もあって、交際していることは誰にも話していません。亡くなった時も友人伝手に辛うじて連絡が来て、友人のひとりとして参列しました。今でもお墓がどこにあるのかもわかりません。周囲には、「過去付き合っていた人がいるが、結局別れた」という体で通しています。
今はどうにか毎日を過ごしていますが、そろそろ就活について考えていく年齢になり、将来のことを考えざるを得なくなってきました。 今でも亡くした彼女のことを愛していますが、これからもずっと彼女を思いながら一人で生きていける精神的な強さはありません。周囲に結婚の話や子供の話を振られるたびに「今はまだいい」と答えていますが、婚期逃すよ!子供欲しくないの?タイプの人とかいないの?という返しをされて、辛くなってしまいます。 いっそカム(※)して、彼女が亡くなった話もして、世間一般的な女性の将来の話をされるのを避けようと思ったこともありますが、周囲の理解が低い事や彼女の意思を考えると、話はしたくないなと思います。(※牧村注……「カム」とは、「カミングアウト」のこと。何かのフリをするための、着ぐるみのような仮の自分の中から「出てくる」という意味。ここでは、「恋人ではなく友人だというフリ」「亡くしたのではなく別れたのだというフリ」をやめること)
だからといって、いつまでも彼女のことを一人で引きずっているのも精神的に辛いです。最近は、子供じみた高校生の恋愛を引きずっているのもどうなんだろう、彼女のことが辛いだけでレズビアンではないのではないか、と思うことも増えてきました。そう思ってしまう自分にも嫌気が差します。
いつまでもこのまま、彼女のことを思い続けてよいものでしょうか。過去の思い出と振り切って、将来のことを意識するべきでしょうか。
(ご投稿を全文そのまま掲載しました)
お話くださって、ありがとうございます。
愛する人を亡くすという非常事態にあっても、彼女の「周囲に言わずにおきたい」という意思を尊重なさったのですね。「友人です」という体で、静かに耐えて。よくぞ、今日まで。「彼女を思いながら一人で生きていける精神的な強さはない」とおっしゃいますが、こうした日々は必ずご投稿者の方を強くしてきたことでしょう。「どうにか毎日を過ごしている」と言いながら、悩み抜いた一日、泣いて眠った一日、自分に嫌気が差しつつも自分を生きた一日を重ねていくごとに、サバイバル記録は着々と伸びていくのです。精神のアスリートみたいなものよね。
けれど、周囲に関係を明らかにしていないがゆえに、ご投稿者の方に過剰な負荷がかかってしまっているのも事実だと思います。トレーニングに例えるなら、重たいバーベルは軽いバーベルよりも早く人を強くする一方、その人を痛めつけてしまう危険性も秘めていますでしょう。だから人は辛い時、悩みを打ち明けて、人に一緒に持ってもらうわけよね。「こんな話してごめんね、重いよね」とか思うんだけれども、相手がちゃんと一緒に持ってくれたなら、その人と一緒に強くなっていける。
だから私はね、カミングアウトだって……亡くした人が「友人」どころか愛する人だったんだと言ってしまう行為だって、責めるつもりはないの。何も恥じることはないんだし、それで亡くなった方や遺された方に実害が及ぶのであれば、害を及ぼす奴のほうが悪いんだもん。ひとの愛をなめんな、って話よ。だけど……ご投稿者の方は、それでも「彼女の意思を考え」、言わないことを選んできた。立派だけど、 全部の負荷がご投稿者の方にかかってしまっていたわよね。今までは。
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