「もうこの10年くらいずっと、似たような居酒屋ばっかり転々として細々と飲んでます」
「剛士くん、それだよ。それ」
「え?」
「剛士くんの特殊能力は、安居酒屋に通う客の気持ちをよく知ってること、これ!」
「え……?」
「お金や時間を使うってことはね、投資になってるんだよ。かれこれ10年近く安居酒屋通いを続けてきた剛士くんは、つまり、安居酒屋に対して480万円も投資してきてるの。そして10年間、業界の動きも見続けてきてる。どんなメニューが長年支持されているのか、どんなメニューがすぐに廃盤になっていったのか、どんな店が残って、どんな店が潰れたのか、どんなサービスに客は喜ぶのか、安居酒屋にくる客層が、どんなことをお得だと感じ、どんなことを損だと感じるのか、そういうのをずっとリサーチしてきたようなもんだよ」
「……確かに、それは、わかります……! 散々、飲み食いしてきてるんで……」
「その情報って、誰でも持ってるものじゃないんだよ。剛士くんが10年間、週4日も居酒屋に通って、480万も使ったことで、やっと手に入った情報なんだよ。その情報は、お金になる可能性があるものだよ」
考えたこともなかった。でも言われてみれば確かに、もし俺の居酒屋通いの歴史が仕事として行ったことで、マーケティングのための調査活動だったなら、随分な時間とお金を注いだプロジェクトなのかもしれない。
「基本的にね、自分が太客をやってる業界には、自分が稼げる可能性があるんだよ。それに対してお金を払う人の気持ちが解るって商才だから」
「……!」
「みんな、自分の能力に気づいてないんだよね。ただの趣味だと思ってるの。もったいないよー、投資した分、回収しようよー、って私はいつも思ってるんだけどね」
そう言ってハナコはまた女神のようにニッコリと微笑んだ。
「剛士くんの頭の中には『安居酒屋の需要とは』っていう分厚い本が入ってる。安居酒屋のプロだよ。ねえ、普段って一人で飲んでるの?」
突然に質問が飛んだ。え、俺、口説かれてるの? 剛士はドキッとしながら、それを悟られないように気をつけて質問に答えた。
「いや、野郎とばっかです……職場の同僚とか、高校時代の友達とか、先輩とか、チーム安月給って俺は心の中で勝手に呼んでるんですけど」
「お! いいね、じゃあ、安居酒屋に通う系の知人もたくさんいるわけだ。未来のお客さんじゃん。安居酒屋に通った月日の分だけ仲間いるでしょ、有利だね」
全然口説かれていなかった。舞いあがった反応をしなくてセーフだった。
*
帰り道、剛士は興奮していた。
カウンセリングの終わりに、ハナコは再度「いろんな稼ぎ方がある」と説明していた。そうして最後の最後に、
「剛士くんは若くて健康な体を持っているし、余っている時間もある。だから月30万円はすぐに叶うだろうけど、せっかくそんな特殊能力があるんだから、安居酒屋を起業するっていうプランが私はオススメだなー。とりあえずそのつもりで今日からを生きてみてほしい。私は白ビールが好き。あとね、ポテトサラダが美味しいお店のことは信頼しちゃう」
と言った。この人もポテサラ……! 剛士は自分のどこかを撃ち抜かれた気がした。
「どう? イケそう? 時間給パターンと、特殊能力を活かすパターン、どっちで作戦を立てたい? 」
そう訊かれて、言葉に詰まった。数十分前にこの席に座ってから、なんだかあまりに怒涛の展開で、思考が追いついていなかった。するとハナコはさらに言葉を重ねた。
「それともどっちもイケなそう? それだったら他の案も出すから教えてね。 剛士くんがイケそうな気がするまで、ひねり出すから」
喉元まで言葉は出かかっていた。特殊能力を活かすパターンで行きたいです、と。でも声に出せなかった。やっぱり俺なんかが、学歴もない資格もない英才教育も受けられなかった俺なんかが、30手前で一念発起するなんて、身の程知らずなんじゃないか。イケるとか思って始めて結局ダメだったら、今以上にダサくないか。
頭がパンクしそうになった瞬間、それまでじっとこちらを見つめていたハナコが口を開いた。
「迷った時はね、より勇気が要る方を選ぶと、より大きく未来が動くよ。
選ぶことに勇気が要るのは、未来への影響力が大きいからなんだよね。つまり、使った勇気の分だけ未来は変わる。
あとね、やるかやらないか悩んだ時にオススメな判断基準は、ワクワクするかどうか!
そのことを想像してワクワクした時は、やってみる。
私はね、始めたことがうまくいくかどうかって、そんなに重要じゃないとも思うんだよね。うまくいかなかったとしても、取り組んだその先には必ず、今とは違う現実と、別人な自分が残るから、新しいことを始めた時点でその結果はどうあれ人生ってどんどん動いてくよ」
「……特殊能力を活かしたいです」
手本にしたいポテトサラダの心当たりは、すでに5つある。刻んだベーコンとタクアンを入れるとポテトサラダは絶品になる。生の玉ねぎを入れているお店が多いが、ポテサラの玉ねぎは加熱したものの方が甘みが出て美味しいし口に嫌な後味が残らない。柴漬けがゴロゴロのポテトサラダも美味しかった。ビールと名付けた発泡酒を出すお店は潰れる。誠意は大事なのだ。
「おっ。 顔がワクワクしてる。いいね。じゃ、そのパターンのミッションを出すね」
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