運ばれてきたポテトサラダを見て剛士は「ハズレだ」と思った。生ビールという名が付けられている発泡酒が運ばれてきた時から期待はしていなかったが、やはり、この店はハズレだ。値段通りでしかない。そんな剛士の思いを読みとったらしく、優也が言った。
「ポテサラ、業務用だね。残念」
「ん」
「なんか最近、俺もその『ポテサラ診断』するようになってきちゃったよ。あと弁当にポテサラが付いてると、必ずタケの顔がよぎる」
剛士は週に3度ほど、こうして仕事帰りに飲みに行く。優也は同僚であり飲み仲間の一人で、高校を卒業した年に就職した電機メーカーの工場で出会って以来の付き合いだ。もうすぐ10年目になる。一人暮らしをしているから早く帰っても夜が長いだけだし、これといった趣味のない剛士にとって、仲間との飲み会は唯一の趣味だった。
剛士には「ポテサラが美味しい店は、何を食べても美味しい。ポテサラに一工夫ある店は全体的に期待ができる。ポテサラが業務用の惣菜の店はハズレ」という持論があり、それを仲間内では「タケシのポテサラ診断」と呼んでいた。
剛士に行きつけの店はなかったが、いつも似たような店を巡っていた。いわゆる安居酒屋と呼ばれるタイプの居酒屋だ。
「まー、安居酒屋だから、こんなもんだよな。俺らが行くような店で、当たりのポテサラを出してくる方が奇跡的だし」
「ハズレポテサラは安月給の宿命っすか〜」
年齢も勤続年数も同じで、職場でのポジションもそう変わらない優也と剛士は、当然稼ぎも同じだ。月給23万。就職した時は18万円だった。10年間真面目に勤めるなかで5万円昇給した。
剛士はポテサラを一口食べて、今日の昼の生姜焼き弁当の端っこについてたヤツとまるっきりおんなじ味だな、と思いながら、味の薄い発泡酒を飲むと、もう何度口にしてきたか分からない言葉が今日も口からこぼれた。
「あ~、金ほし〜〜〜〜、もっと稼ぎて~~~~」
「同感でーす。もしくは宝くじ当たって欲し——」
「俺、宝くじ当たる可能性を持ってねえわ。だって、その200円すら惜しいもん。まじ貧乏。てか優也、宝くじ買ってんの?」
「買ってるよー、毎月連番で10枚は買ってる。まあ俺は、タケほど飲みに金を使ってないからさ。てか、タケとしか飲んでない。だからその分お金に余裕があるの」
「僅差じゃねえか。俺の一回の飲み代2000円だぞ」
生ビール190円の旗に釣られて入った居酒屋タヌキは、ポテサラ診断の通り、何を頼んでも場末のカラオケのアラカルトクオリティで剛士をゲンナリさせた。大体にして190円のそれは生ビールではなく発泡酒だ。さすがに客の舌をナメすぎだろう、と口に含むたびにイラっとした。頭が冴えてると萎えるので逆に酒は進んだ。
剛士は1回に使う飲み代は2000円までと決めている。そうしないと週3で飲みに行くことができないからだ。
終電まではまだまだ時間もあるが、伝票のリミットが迫ってきた。あーあ、金があったら、もう一軒行けるのに。不意にそう思い、そしたらすごく萎えた気持ちになった。
騙されて飲んだ発泡酒の口直しがしたかった。でもそれをしてしまうと予算オーバーだ。30歳も近い男が、安居酒屋のハシゴ酒もできないなんて惨めだと思った。
剛士は舌打ちをしながら店をあとにした。発泡酒のことを生ビールと表記する店の不誠実さに腹が立っていた。でもそれ以上に、飲み直す財力のない自分の不甲斐なさにも今夜はムカついていた。
「あなたの人生の作戦会議をします」
剛士がその文字に気がついたのは、優也と別れて一人でコンビニに寄っていた時だった。鼻炎持ちである剛士はレジ横に置かれていたティッシュをポケットに突っ込んでいた。
「人生の作戦会議……」
パッケージに書かれたその一行に妙に心を奪われた。
*
「こんにちは、王生際ハナコです」
その週末、剛士はあのティッシュに書かれていた「王生際ハナコの作戦会議室」とやらを訪れていた。あれ以来、あなたの人生の作戦会議、そのフレーズが妙に気になった。そして今、何だか分からないが、すごく綺麗な女が目の前にいる。これまでの27年間で出会った女の中で確実に一番綺麗だ。ただでさえ、よく分からない状況に緊張していたのに、こんな美人と密室に2人きり……。
「あ、え、えっと……」
それでどもっていると、ハナコはニッコリと微笑み、持っていたノートを開いて、ピンクのボールペンと共にこちらに差し出してきた。微笑み方が女神すぎる、と思った。そして俺は美人に免疫がなさすぎる、とも。工場にも安居酒屋にも美人はいないのだ。
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