前回の授業で、「正しさは人それぞれ」であることを学んだ青年ひろ。しかし、1つその真実を知れば、また次の疑問が浮かびあがる。「じゃあ世界には、悪人なんて1人もいないんじゃないか?」。本当に、そうなのだろうか。
物事はすべて人それぞれ……要するに「相対的」
ひろ はい。美少女フィギュアを見て美しいと感じるかそうでないか、美少女フィギュアを愛でることを幸せだと思うかそうでないかは、人それぞれですもんね。
先生 そうなんだけど、その例えは「美少女フィギュア」を「道端の月見草」などに変えた方がよりエレガントになると思うぞ。
ひろ え〜〜、どっちの例えがしっくりくると感じるかは人それぞれでしょう。
先生 それはそうじゃが。ちょっと憎たらしいねおまえ。……まあつまりじゃな、物事に絶対的な基準がないということは、物事はすべて人それぞれ……要するに「相対的」だということであり、このように「世の中のあらゆる基準は相対的である」とする考え方を「相対主義」と呼ぶのじゃ。プロタゴラスは相対主義の代表的な哲学者であった。
ひろ ということは、結局この世の中では相対主義が正しい主義なんですね?
先生 いや、「相対主義が正しい主義である」と断定することはできん。なぜなら、「正しい」という基準もまた相対的なものだからじゃ。相対主義的に考えるのならば、「相対主義が正しいかどうかもまたそれは受け取る人間次第で決まる相対的なものである」ということになる。
ひろ 面倒くさいですね!! もうそこは「正しい」でいいじゃないですか! だって相対主義が正しいからこそ、相対主義すら相対的に捉えようとするんでしょう?
先生 いいや。相対主義を貫くならなおのこと「相対主義が正しい」などという絶対的な評価は下せないのじゃ。相対主義が正しいと思えば思うほど、「相対主義が正しい」と言ってはならぬことになる。
ひろ ひねくれ者!! いくじなし!! せめてそれくらいは、「相対主義は正しい」と言い切るくらいの勇気は持ちなさいよ!
テロリストは悪なのか?
先生 そうはいかん。なにしろ「なにが正しいか」ほど、その重要さに反しててんでバラバラな基準もないのじゃからな。
ひろ そんなことないでしょう。正しいことの基準なんて世界共通でしょうよ! 例えば……、テロとか! 酷い事件を起こす人とかグループは、誰が見ても正しくない、絶対的な悪に決まってるよね!
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