撮影・青木登(新潮社写真部)
現在の落語芸術協会には折からの落語ブームの影響もあって入門志願者が相次ぎ、興行によっては十人もの前座が寄席の狭い楽屋にひしめいていることもあるという。松之丞の入門当時にはそこまで人数は多くなく、楽屋を回すための必要最低人員プラスアルファ、という程度だった。それでも三、四年目を迎えるころには、増加傾向は始まっていたのだが。
「おもしろいもので、ぎりぎりの人数でずっと気張ってるほうが、早く時間って終わるんですよ。だから人が多くなると、逆にだらだら長くなるんです。でも僕は、その長い時間もずっと稽古してました。座りながら、本当は師匠方の着つけとかに付かなきゃいけないんですけど、一人で自分のネタをぶつぶつ稽古してましたね。途中で台本を忘れたら、こっそり前座部屋に戻って、ああ、そうか、って確かめたりして。ずっと師匠方のほう向かないで脳内で稽古をしてたんですからひどい前座です。後でいろいろな人に聞いてみたら、立前座(キャリアが最も上で、指揮役を務める前座)が僕を見て『マッちゃん(松之丞)がさっきからずっと畳の布目を見てるけど、いったい何やってんだろう』って怪しんでいたという(笑)」
前座の人数が増えて余裕が出てきたということもあるのだろう。何よりも苦楽を共にした仲間の中に、見えない絆が出来つつあった。
「成金メンバーは前座の頃から二ツ目以降を見据えている人が多かったように思います。先を見据えすぎて、今が緩くなっていることがあって、楽屋って絶対に一人は前座がいて師匠方の動向見なきゃいけないんですけど、七、八人いる前座がみんな袖で(三遊亭)遊三師匠の高座を見ながら和気あいあい笑ってて、師匠方が中で着替えてるのに一人もついてないということがありました(笑)。前座同士で話して、盛り上がるなんてあっちゃいけないことなんですけど、そういうのも平気でしてたような気がします。それがストレス解消みたいな感じで。とにかくみんなで、この時間を早く過ごすにはどうしたらいいかみたいな、ゲームをやってる感じでした。昼席と夜席だと昼席のほうが三十分長いので、みんな昼席に入るのを嫌がってました。三十分も俺は余分に働かなきゃいけない、一日三十分、十日だったら三百分、五時間も同じ給金で余分に働かないといけないのか、と。とにかく他人のために時間を使うのが嫌だ、みたいな気持ちでしたね」
松之丞の上下には、同じような気質を持った者が前座としてたまたま集まっていたのかもしれない。それぞれの付き合い方、距離の取り方は違っていたが、一つの共通点があった。
「みんな、何よりも高座が大事だったんです。その中で(桂)伸三兄さん、宮治兄さんは、高座から何から全部できた人だったんですけど、前座としてはまったく評価されていない人もいた。それがみんな二ツ目になってから、ガッと上がっていったんです」
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