ゾンビ10番勝負

足の速いゾンビ vs 足の遅いゾンビ

近年、ゾンビをテーマにした書籍が多く出版されています。ゾンビ自体の面白さ、ゾンビを考えることの面白さとは何なのでしょう。話題書『新世紀ゾンビ論』と『ゾンビ学』の著者による連載第1回目のテーマはゾンビの足の速さ。もともとゾンビはゆっくり歩く存在でしたが、21世紀に入り、足の速いゾンビがいろいろな作品に登場するようになりました。これはありかなしか、ファンの間でも大論争になっています。


走るゾンビは、なぜ嫌われるのか? 藤田直哉

ファンに嫌われる走るゾンビ

走るゾンビは、嫌われている。

21世紀に入ってから、様々な作品の中に、足の速いゾンビが登場するようになった。足の速いゾンビを認めるか認めないかは、ゾンビ・ファンたちの格好の議題となっており、夜な夜な、全世界の掲示板で熱い議論が交わされている。

その具体例を一つ挙げてみよう。

三島由紀夫賞作家で映画評論家である中原昌也は、「ゾンビ映画、ジャンルとしての終わり」(『ゾンビ論』洋泉社、所収)で、このように挑発してみせる。

「現在主流となっている”多数派のゾンビ”から逃げ回るだけ(たまに戦ったりするが)のゾンビ映画が他愛なく退屈なのは、コミュニケーションすら放棄した脱文明社会の退屈さに通じている。/そこに至る様々な要因(たとえばゾンビ・シューティング・ゲームの隆盛など)はあるのだろうが、ゾンビ映画はジャンルの最底辺に向かっている。恐ろしいのは、この流れを覆すような新しい流れが生まれないことにある。無邪気に死者とのバトルで戯れるうちに、ニヒリズムが映画を支配していったのだ。」

日本におけるゾンビ研究の権威とも言える伊東美和が編著を行った『別冊映画秘宝 ゾンビ映画大マガジン』(2011)における「新世紀ゾンビ映画座談会」でも、足の速いゾンビは貶される。参加者は、伊東美和、高橋ヨシキ、中原昌也、山崎圭司である。

足の速いゾンビは「ゲーム的ゾンビ」と呼ばれ、以下のような不満の声が挙がる。「怖さがない」「タブー感がない」「すぐ走る」「反射神経で撃ち殺す」「考える余裕がない」「キャラクターとして安直になった」。

ゾンビが大きなブームとなったのは、ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』からである。ジョージ・A・ロメロは「近代ゾンビの父」とも呼ばれる。それを規範とする場合、ゾンビとは、のろのろと襲ってくる不気味な存在の、じわじわと来る怖さ、身体的な生々しさの感じが、魅力の一つであったと言える。これを「近代ゾンビ」あるいは「ロメロ・ゾンビ」と呼ぶことにする。

21世紀に入り、ゾンビがその性質を失ったことが嘆かれている。その嘆きの種の一つが、「足の速さ」である。

足の遅いゾンビを至高とするか。足の速いゾンビこそ素晴らしいと言うか。それは大袈裟に言えば、世代間闘争である。どんなゾンビに感情移入するか、どんな感情を映画から得たいと思っているのか、そのような集団的な無意識の時代ごとの変容、大衆的な欲望の変化が反映されている、と言っても良い。

それをどう受け止めるか、どう評価するか。そこには大きな断層がある。

走るゾンビが本気で好きだ

ぼくは速いゾンビが好きだ。

大真面目に「足の速いゾンビ」に象徴される「新世紀ゾンビ」が、大衆的な広がりを見せ、質も変容させていることの意義を『新世紀ゾンビ論:ゾンビとは、あなたであり、わたしである』(筑摩書房)の中で本気で考え、論述した。プロレス的に世代間闘争をしているというよりは、本気で好きなのだ。

たとえば噛まれて12秒でゾンビになってしまい、ゾンビ化してからは車のフロントガラスを割れるほど強い『ワールド・ウォーZ』のゾンビ。階段を駆け上がり、津波のように押し寄せるゾンビのスピードに、率直に興奮している自分がいる。

それをどう受け止めていいのか悩みながら、言語化の方法を捜し求めていた。

問題をもう一方から見れば、ハリウッドのブロックバスター映画が、動体視力を極限まで酷使させる文法に変化していっていることをどう評価するのかに近い。

速い編集とカメラワークで、状況の全体を把握できないまま行動しなければいけない危機を描く作品が増えている。観ている観客も、状況の全体を把握できない。単なる視覚的な刺激の連続に、脳と網膜が刺激され続ける。

これは、映像を通じて、脳の快楽を刺激するスイッチを操作し、快感を感じさせる作業に近い。物語の意味、構図の妙、象徴性などを考えるような読解を行い、味わうような鑑賞方法とは明らかに異なっている。

速いゾンビ映画は、「ハマ」る。興奮と陶酔がある。脳内麻薬の分泌によって、心地よい麻痺状態になる。そのとき、ぼくはゾンビである。そして、怖いのは、ゾンビである自分が心地よいことである。

走るゾンビの震源地のひとつは、ロメロや上述の中原が示唆するとおり、デジタルゲームである。デジタルゲームは、ポジティヴ心理学や脳神経学を駆使し、脳神経をいじる「幸せエンジニア」(ジェイン・マクゴニガル)である。その「エンジニアリング」はゲームに留まらず、SNSの「いいね!」などの設計に応用されている。

ゲームを震源地とし、現代の文化の多くの領域が、脳科学の応用によって支配されきっている。それを「支配」であるとも感じないように感性が変化している。それをぼくは「文化産業の脳科学化」と呼んでいる。

「走るゾンビ」が象徴しているのは、そのような文化的な感性を発達させてしまうぼくたち自身であり、「走るゾンビ」を認めるか否かの議論は、そのような感性を発達させてしまう環境をどう評価するかについての議論でもあるのだ。



ゾンビは意外と速く歩く 岡本健

まず、私の仕事から説明せねばなるまい。必要なのは、何をおいてもまず、ゾンビだ。基本的に、ゾンビの出てこないゾンビ映画は無い。ゾンビについて思考を重ねること、それがゾンビ学であって、私は大学でそれを研究し、教育に活かす仕事をしている…。

さて、皆さんのゾンビ体験はどのようなものだろうか。ハロウィンの仮装でゾンビになった? ゲームや実写映画の『バイオハザード』? ロメロの『ゾンビ』を観た? あるいは、実写映画化もされたマンガ『アイアムアヒーロー』?それとも、マイケル・ジャクソンの『スリラー』? スマホゲーム? テーマパークのイベント? キャラクター商品? どんな形であれ、読者の多くは、「ゾンビ」と聞けば何らかのイメージを思い浮かべることができるくらいには、ゾンビと触れ合っていると思う。

だが、そもそもゾンビとはなんだろう? 必要なのは、何をおいてもまず、辞典だ。精選版日本国語大辞典を引いてみよう。分厚い本のページをめくる。そ、そ、「存在」。もう少しだ。そん、そん、「ソンブレロ」。ちょっと、行き過ぎた。お!あったあった、ゾ、ン、ビと。どれどれ、「ゾンビ(英 zombie):ブードゥー教で、まじない師が生き返らせて霊力で操る死人。また、邪悪な霊力などによって、生きた姿を与えられた死体」…う~ん。確かに元々そういう現象だし、映画でも『ホワイトゾンビ』(1932)とか『私はゾンビと歩いた!』(1943)とかに出てくるのはそういうのなので正しいのだが…。

皆さん、しっくりきます? まじない師や霊力というより、ウイルスのイメージが強いような気がする。それに、ゾンビと言えば、人を襲ったり食ったりするのでは? 死人や死体と書いてあるが、最近のゾンビは元気に走り回っているようにも思う。一方で、うるさ型のファンからは「足の速いゾンビなんてゾンビじゃねえよ!」なんて声も聞こえてきたりするし…。ということで、今日はゾンビの足の速さについてお話しよう。

多様化する「速さ」

端的に言うと、ゾンビの足の速さは多様化している。遅いのも速いのもいるのだ。また、遅い中でも、普通の徒歩くらいの速度からひどくのろいものまで、速い中でも、軽いランニングで流す程度のものから、全力疾走のスプリンターまで、よりどりみどりだ。走るだけではなく、ビルをよじ登ったり、天井を這いまわったり(ゴキブリかよ!)、高跳びしたりと、トレーニングを積んでいない人間には不可能な動きを見せるものまで登場している。私は運動音痴なので、ちょっぴりうらやましい。

遅いやつの代表格は『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)や『ゾンビ』(1978)に登場するゾンビだ。この両作品は、ジョージ・A・ロメロという、ゾンビ・ファンたちから神と崇め奉られる監督によって作られた映画で、その後のゾンビ映画に多大な影響を与えた。ちなみに、ロメロ監督は2017年7月16日に鬼籍に入られ、このニュースはNHKでも報道された。ご冥福をお祈りいたします。

そのロメロ監督の『ゾンビ』に登場するゾンビたちは、ショッピングモール内でのろのろ歩いているのだが、速度はかなり遅い。主人公たちは、ゾンビのすぐ脇をするりするりと小走りに駆け抜けて移動できる。とはいえ、組み付かれると噛り付かれ、食われてしまうので怖い。身動きが取れない状態になったり、たくさんのゾンビに囲まれてしまったりすると大変危険だ。

速いゾンビが登場して、広がっていくきっかけを作ったのは『28日後…』(2002)や『ドーン・オブ・ザ・デッド』(2004)だ。『28日後…』は、2002年のイギリス映画で、監督はダニー・ボイル。ダニー・ボイルと言えば、一般的には『トレインスポッティング』や『スラムドッグ$ミリオネア』で有名だが、ゾンビ学界隈では代表作は『28日後…』と理解されている。この作品では、レイジ・ウイルスという、人間を怒りや凶暴性に支配された存在に変えてしまうウイルスの脅威が描かれた。ウイルス感染者は、奇声をあげながらすごいスピードで非感染者に襲い掛かる。普通の人間が全速力で走って来ても怖いのに…。

その後、『ゾンビ』のリメイク作品『ドーン・オブ・ザ・デッド』でも、走るゾンビが描かれた。本作の監督はザック・スナイダー。『300 <スリーハンドレッド>』や『エンジェル ウォーズ』『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』などで有名だ。走るゾンビは人気を博して、たくさんの走るゾンビ映画が今も世界中で量産され続けている。『バイオハザード ザ・ファイナル』では、おびただしい数のゾンビが大マラソン大会を繰り広げていた。『ワールド・ウォーZ』では、全力疾走な上にものすごい数で、ほとんど雪崩か津波状態。こういうゾンビに出くわしてしまったら、もう笑うしかあるまい。

読者諸賢は、「それで? ゾンビの足は遅いの? 速いの? なんなの?」と、そろそろ結論を知りたいだろう。では説明しましょう。遅いゾンビ登場代表作の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』、そして、速いゾンビ代表作の『28日後…』、実は、これらの両監督は、自分が映画で描いた存在がゾンビだとは思っていなかった、と言っているのだ。「…え!?」である。作った側はゾンビだと思っていなかったのに、観る側が、「これはゾンビだ」と判断したことで、ゾンビ映画とみなされたというわけだ。もう、お分かりだろう。ゾンビの速さは、固定的ではない。時代とともに、新たな特徴を身に着けていく、それが、ゾンビの生き様(死に様)なのである。

のろまなゾンビも活躍中

結局お前はどっちのゾンビを評価しているのかって? 実を言うと、どちらも好きだ。ゾンビであれば見境なく好きである。しかし、ここは10番勝負の世界、どちらかを選べ! さぁ選べ!と迫られると、足の遅いゾンビと告白する他ない。

「昔(ロメロ)はよかった」と原理主義に走るつもりはない。実は、2000年代以降の映画でも足の遅いゾンビは絶賛活躍中なのだ。

たとえば、『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004)では、主人公たちがゾンビにレコードを投げつけて倒そうとするのだが、向かってくるスピードが遅いおかげで、投げても良いレコード(レア物じゃないやつね)を吟味できる。

『ロンドンゾンビ紀行』(2012)は、老人ホームが舞台なのだが、ゾンビの足が遅すぎて、歩行器を使って歩くおじいちゃんとデッドヒートを繰り広げちゃったりする。これはもう、ある意味微笑ましい。ゾンビの足が遅いことによってこそ生まれるドラマや笑いが、ここにある。

クリエイターたちも、遅いゾンビで新しい表現を作り出そうと工夫を凝らす。そこを「なるほど、次はそう来たか!」とツウの目線で楽しむのもまた一興なのだ。

ゲームでも、遅いゾンビが登場する名作がある。『プラント vs. ゾンビ』シリーズだ。プレイヤーは、ゆっくりと迫りくるゾンビ軍団から脳みそを守るため、植物を植える。今の文、因果関係が意味不明過ぎて、「間違ってない?」と思われたかもしれないが、そういうゲームなので仕方がない。ゾンビは遅いが耐久力は強く、植物たちの総攻撃の前に、ずたぼろになりながらも少しずつ向かってくる。遅い遅いと思っていたら、知らぬ間に意外と近くまで来ていたり…。ビジュアルはポップでかわいらしいのだが、知的でスリリングなゲームだ。ゾンビたちは植物軍団にぼっこぼこにされながらも、脳みそを追い求めて一途にゆっくりと歩みを進める。

遅いゾンビは、なんだかちょっとかわいそうだ。でも頑張っている。千里の道も一歩から。毎日毎日をコツコツと。いつの間にかゾンビ側に感情移入して、泣けてくるではないか。憎まれ役なのに、どうも憎めない、そんなところが足の遅いゾンビの魅力である。


藤田直哉・岡本健のゾンビに関する書籍はこちらです。


藤田直哉『新世紀ゾンビ論』筑摩書房(2017年3月)


岡本健『ゾンビ学』人文書院(2017年4月)

この連載について

ゾンビ10番勝負

岡本健 /藤田直哉

近年、ゾンビをテーマにした学術的な書籍が世界で多く出版されているのをご存知でしょうか。そんな中、2017年春、日本で『新世紀ゾンビ論』、『ゾンビ学』という本格的なゾンビ研究の始まりを告げる本が相次いで刊行されました。ゾンビの面白さ、そ...もっと読む

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_pilate 「最近の若い者は…」=ゾンビ説を唱えたい。人新世および(enhancementやデカルト的意識からの解放バンザイではない)人間性の頽落を嘆く方向のポストヒューマン系とつながるような。 13日前 replyretweetfavorite

flortradio 第1回  人を食べるために一生懸命トレーニングしているゾンビとか見てみたい。 21日前 replyretweetfavorite

153522 とても面白い。を受け入れる日が来るかも。だ。 23日前 replyretweetfavorite

doranekometaro 「足が速い」かどうか、よりも物語としてキッチリ作り込まれているかどうか、そこがワタシにとっての評価基準かねえ。 → 23日前 replyretweetfavorite