父は車に乗れなかった。という意味では僕は父に似ている。まあ、僕は父がよく乗っていたバイクにすら乗れないのだが。
幼稚園の頃、僕はよく父のバイクに乗せられて、いろんなところに連れて行かれた。滑り台の事故で足の骨を骨折していたからだ。
映画館やデパートのある隣町黒崎の繁華街。家からの距離感はまったく覚えていないが芦屋という町の海。炭鉱のボタ山のすそ野に広がる炭住の廃墟。父は足が不自由な僕のことを不憫と思い、連れ回していたのだろうが、僕は、バイクの後ろで父の身体につかまりながら、恐怖の真っただ中にいた。
なぜ? このまま捨てられはしまいかという妄想で頭の中がパンパンだったからだ。
浮気、という言葉をいつ知ったのかはさだかではない。多分、テレビから仕入れた知識なのだろうが、幼くて妄想しがちだった僕は、どういうことの流れか、父が母以外の女と浮気をしているのではないかと確信に近い思いを抱いていた。
父は国鉄で保線区の仕事をしていて、丸一日泊まり込みで働き、朝帰ってきて次の日まで丸一日休みという生活をしていた。
僕は、父がいない夜は、この間にどんな女と会ってるのだと気に病み、父がバイクで帰ってくると、玄関まで女が見送りに来ているのではないかと、庭まで走って行って確認したりするのだった。
もちろん、女を確認できることなどなかった。すべては、ませた子どもの子どもらしくもない妄想にすぎなかったからだ。
高校くらいになってやっと、あの頃はくだらないことで思い悩んでいたなと、思ったものだった。あの気の小さい父が、女にもてるわけがないじゃあないか。
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