東京の夫婦

東京の夫婦、いまだ旅の途中。[第二十五回]

「大人計画」を主宰し、作家、俳優として活躍する松尾スズキさん。2014年に「普通自動車免許を持った一般の女性」と再婚した松尾氏がその結婚生活を綴ったエッセイ「東京の夫婦」の連載がスタート。第二十五回は松尾夫婦の「お引っ越し」。イラストは近藤ようこさんです。


 ここ数週間は、抜きんでてバタバタしていた。また、引っ越しをしたのである。しかも、ドラマの撮影の真っ最中だった。さらにいえば、僕は弁護士の役で、当然法廷のシーンがあり、おのれの俳優史上最大のセリフ覚えをせねばならないという窮地に立たされながらである。

 去年の夏、代官山から笹塚に越したばかりだった。
 笹塚のマンションはそれはそれでよかった。ほぼ駅ビルのように駅に隣接していたので、ちょっと新宿の駅ビルにある旭鮨でも食おうか、なんてことになると、土砂降りの日でも傘も持たずにドア・ツー・ドアで寿司屋に行けるのだ。新宿旭鮨まで屋根づたい、ということは、旭鮨がマンションの敷地内にあるようなものじゃないか。違うだろうか? マンションの近くに富士そばがあったのも嬉しかった。僕は富士そばの紅生姜天そばが大好きなのだ。足しげく富士そばに通ううち、富士そばは日によって、出来不出来の差が激しいことがわかった、特に天ぷらの仕上がりのばらつきが著しい。同じ質の紅生姜天は二度と食べられない。食べるたび、僕に無常を教えてくれた。方丈記的にいえば「ゆく紅生姜天の流れはたえずして、しかも元の紅生姜天にあらず」である。何を言ってるのかわからなくなってきたが。

 引っ越してからサウナにはまった。歩いて行ける距離にサウナがあって、そういえば、久しくサウナなんて入ってないなと思い、暇つぶしがてら行ってみたのだが、サウナと水風呂の往復を繰り返すうち、なぜ、人がサウナを欲するのかを、いきなり悟ったのだ。水風呂後、手足の先がしびれ、脳の血流がざわつき、なにやらがスピーンと覚醒する感じ。暑く蒸されて、キンキンに冷やされて、その苦界から解放されたときの無罪放免感。これだったのか、世のおっさんがサウナに行く理由は、と。それ以来、時には「えー? サウナー?」と渋る妻を連れて、ジムのサウナや、ラクーアなどのスーパー銭湯などに行きまくった。そのうち、水風呂の温度やサウナ内の清潔感、客の民度などが、サウナ後の快感を左右することがわかってきた。サウナの目利きができるようになったのだ。静岡にまで足を運んだこともある。「しきじ」といういわゆるサウナーの聖地と呼ばれる老舗のサウナが静岡駅から車ですぐの場所にあるのだ。ここは、地下からくみ出した、多分ボルヴィックより水質のいい「飲める水風呂」があることで多くの有名人も愛するサウナなのだ。ここにも、妻を連れて行ったのだが、まんまと彼女もはまった。

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松尾スズキが綴る、東京の夫婦の軌跡

東京の夫婦

松尾スズキ
マガジンハウス
2017-08-10

この連載について

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松尾スズキ

東京で家族を失った男に、東京でまた家族ができた。夫は、作家で演出家で俳優の51歳。妻は、31歳の箱入り娘。 ときどきシビアで、ときどきファンタジーで。 2014年に「普通自動車免許を持った一般の女性」と再婚した松尾スズキさんがその結婚...もっと読む

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thinktink_jp "人生の着地点の見えない子供のいない夫婦は、いつまでも、旅の途中なのだ。" https://t.co/buY1760xEg https://t.co/VZqqlEWP9g #drip_app 2年以上前 replyretweetfavorite