東京の夫婦

時間がないから。[第十七回]

「大人計画」を主宰し、作家、俳優として活躍する松尾スズキさん。2014年に「普通自動車免許を持った一般の女性」と再婚した松尾氏がその結婚生活を綴ったエッセイ「東京の夫婦」の連載がスタート。第十七回は「夫婦の時間」の有限性について。イラストは近藤ようこさんです。


 我慢のならない、とまでは言わないが、どうしていいかわからない時間がある。
 たとえば、妻と一緒に入った寿司屋のカウンターで、職人さんと向かい合わせになり、その職人さんが、延々と寿司ネタに関するうんちくを話し始めたとき。

 寿司のネタにはまったく興味がない。まあ、それが、なんの魚か、くらいは知っておきたいが、それのいつが旬で、適正な熟成期間がどのくらいで、どこそこの浜で獲れたものがよくて、養殖はおしなべてダメで、養殖している浜の魚も、網の向こうから餌をつっつきに来るからよくなくて。
 ……なんて話は、どうでもいいのだ。うまければ。

 あと、タクシーの運転手さんの繰り言。バブルの頃はスーツ姿の男が、ボディコンの女をはべらし、みんな道の脇から一万円札を振り回して車を止めたもんですよ。今は、ホントにダメですねー。なんていうの。

 そういうのも、どうでもいいんですよ、そんな話は。誰にだって愚痴はあるけど、それを金を払ってまで聞きたくはないなあ、辛気臭いし、と思う。

 そういうとき、僕は、どんどん声に出す相槌の回数を減らしていき、ときどき、相手の話にくしゃみを被せたりして、極力傷つけない方向で、話の風を丁寧に落ち着かせ、空気を静かに平らにならし、最後には無風状態という「凪」の戦法をとるわけだが、妻M子はどうしても、そこで、「無下にできない」という性分が働いて、どんどん、相手の話に追い風を吹かせてしまうのだ。

 若い女が「ええ! そうですね!」なんて、キラキラした返事をするもんだから、話し好きの職人さんや運転手のエンジンは全開になって止まらなくなる。

 僕だって子供じゃないから、それに水を差すように不機嫌になったりしない。エヘラエヘラと「興味があるとないの中間」くらいの表情を作りながら、話が落ち着くまで待つしかない。が、心の中では、いら立ちは、どんどん大きくなる。最終的に彼らの話は、なにがしかの自慢にたどり着くからだ。そして、それらは、僕が裸一貫から劇団を作り芸能界に飛び込んで経験して来た数々の修羅場と比べて、申し訳ないけど、おもしろさの質が、さほど大したことがない話であることがほとんどなのだ。想像の域を超えることがまずない。

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松尾スズキが綴る、東京の夫婦の軌跡

東京の夫婦

松尾スズキ
マガジンハウス
2017-08-10

この連載について

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東京の夫婦

松尾スズキ

東京で家族を失った男に、東京でまた家族ができた。夫は、作家で演出家で俳優の51歳。妻は、31歳の箱入り娘。 ときどきシビアで、ときどきファンタジーで。 2014年に「普通自動車免許を持った一般の女性」と再婚した松尾スズキさんがその結婚...もっと読む

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コメント

takasago_fune 温かいけど、スズキさんのプライドもちらっと見える文章。 約3年前 replyretweetfavorite

akyska 毎度泣けるよなあ/”僕の感じる「時間のもったいなさ」は、あと、何回二人だけの外食や外出をして、お喋りができるかという、具体的な「チャンスのリミット」から来ているものなのだ” 約3年前 replyretweetfavorite

marekingu 松尾スズキの #スマートニュース 約3年前 replyretweetfavorite

tunachan16 また泣いた……。 約3年前 replyretweetfavorite