撮影・青木登(新潮社写真部)
高座に上がる回数こそ増えたものの、前座としては鬱屈の日々が続く。
「当時の人に聞くと、ファッションもまず黒しか着てないですし、暗いし、ぴりぴりしててとにかく近寄りがたい。しかも、気が利かない。さらに寄席前座の一年目は開口一番やったら重くする(笑)。最悪のFランク前座ですよね」
開口一番とは寄席の開演と同時に高座に上がる役割だ。緊張の解けていないお客の心をほぐし、空気を暖めることが求められ、巧さは要求されない。最初の一年の寄席の高座はもがきにもがいたと言う。現代の落語の定席において講談は異物なので、開口一番に求められるような空気を暖める機能を欠いていた。しかし松之丞は客に媚びるのを拒むように自分のやりたい演出、掛けたいネタ、に固執し続けた。そうやって寄席での技巧を磨いていったのだ。楽屋で働いているときも、可愛がってください、というオーラをまったく発しない前座である。講談にはなくて落語の寄席にある仕事の一つに、お囃子の太鼓がある。それも苦手の一つだった。
「前座の四年というのは、太鼓叩けるやつが世の中で一番偉いみたいな時代なわけです。そういうのに反発もありましたね。月に一回太鼓の稽古会というのがあるんですけど、そこで前座は順番に叩かされるんです。みんなの前で出来る、出来ないがはっきりする。それも学生みたいで本当嫌でした。僕もちょっとは叩く努力をしたんですけど、やってみて出来ないとわかった。だって、音が外れているかどうかもよくわかんないんですよ。カラオケで自分が下手かどうかを認識できないのと同じで、致命的じゃないですか。これはもうやんなくていいや、と思いました(笑)。結局、太鼓は極められぬまま終わりましたよね。芸協は結構そういうとこは懐が深くて、一生懸命稽古しても叩けないやつはしょうがないよねっていう空気があったんです。まあ、僕は稽古すらしていないんですけどね(笑)」
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