『ウエストサイドストーリー』のプエルトリカン、黒人の若者達は、今や、ナイフを持つかわりにスプレー缶で、暴力で強さを示すかわりにブレイキングダンスとラップで自己顕示をする。時代は変わっているのだ。【…】この本と映画は、本とか映画をあんまり読んだりしない、観たりしない「はぐれた」連中に読んでみてもらいたいとサウスブロンクスの連中はいっています。
(*1)カズ葛井『ワイルド・スタイルで行こう』(JICC出版局、83年)
カズィ・カズこと葛井克亮は、サウス・ブロンクスの〝はぐれた〟連中が始め、マンハッタンを席巻するに至るヒップホップ・カルチャーを描いた映画『ワイルド・スタイル』のガイド・ブックの後書きにそう記している。そして、彼は同作品を遠い島国に持ち込むにあたって、文章で解説するだけでなく、件の〝はぐれた〟連中——つまり、B・ボーイ、ライター、DJ、ラッパーを実際に連れて来ることが良いだろうと考えた。
しかし、日本で初めてヒップホップ・ショウを体験した若者の中には、それをどう理解すれば良いのか分からず、戸惑った者も多かったという。
例えば、『ワイルド・スタイル』クルーが登場した原宿のクラブ<ピテカントロプス・エレクトス>のハウス・バンド、東京ブラボーのヴォーカリストだった高木完は、ヒップホップを新しいロックだと捉えていたが、肩透かしを食うことになる。
それまで僕は、ずっとロックが好きだった。そのころ、一番よく七〇年代のロックとか聴いてたころかな。ニューウェーヴもちょっとつまんなくなって。で、ヒップホップが一番トレンドみたいな感じで扱われていた。もともとは、ニューウェーヴから火がついて、トムトムクラブとかブロンディとかの流れで。
『ワイルド・スタイル』は、その流れの本物がきたってことで観にいったんだけどね。
白人が取り入れていたトムトムクラブやブロンディのほうは、まだ自分のなかでもヒップホップ風なものとしてわかっていたんだけど、本物がきたときは本当にわかんなかった。
(2) 後藤明夫『Jラップ以前——ヒップホップ・カルチャーはこうして生まれた』(TOKYO FM出版、97年)
あるいは、藤原ヒロシやヤン富田のような情報通は、前述したヒップホップのいわゆる4大要素の内、取り分けDJの革新性に注目した(「映画『ワイルド・スタイル』と原宿「ピテカントロプス」の交接点」参照)。
それでも、この国には『ワイルド・スタイル』によって人生が変わってしまった〝はぐれた〟者もまた確かに存在するのだ。
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