『苦汁100%』の表紙に巻かれた帯の惹句には、「作家・尾崎世界観が赤裸々に綴る、自意識過剰な日々」とある。が、話を聞くかぎり、カッコつけて虚構の自分を見せたがるような自意識過剰とは、すこし違うような気がしてくる。
自意識がたっぷりなのは間違い無いんですけどね。自意識を抑えようとする気持ちが、異様に過剰なのかもしれないです。自意識過剰100%の人が、自分の自意識を上方向に100伸ばす、だから自意識が突出して目立つとするじゃないですか。僕の場合は、自意識をまず50だけ上に伸ばして、そこから下に向けて必死に50抑えようとしてしまう。それでぱっと見は自意識過剰には見えないんだけど、結局100%自意識に振り回されていることには変わりないというか。無駄な方向に自意識を使ってしまっていますね。
昔からそうですね。違う視点のふたりの自分が、ひとつの身体のなかに同居している感じです。歌詞をつくるときも、ひとりは熱くなって歌詞を書いて、もうひとりは冷めた視点で審査員みたいな役割をする。それで、その審査に合格したら作品にしているんです。
読んでいて、自分が自分が、と自己を主張することが少ないのも、自意識をストレートに感じさせない原因に思える。『苦汁100%』では、自分のことじゃなくて、他の人のことばかり書いている印象もある。
周りの人が結局、自分を最もよく表すのだと思います。周りのことを書くと、いまの自分が見えてきますね。書きたくなる人がいっぱいいる時期は恵まれているのだろうし、だれかのことを書こうという気持ちがあるときは、精神的にいいときです。
ライブのことを書くにしても、自分がステージでしたことよりも、最前列のお客さんの表情がどうだった、みんなの反応がよかったといったことを中心に書いている。
そうですね、お客さんは鏡みたいなものですから。練習やリハーサルのスタジオには基本的に鏡があって、自分の姿を見ながら歌うので、ライブをやっているときも変わらない感じでやっています。お客さんを見ていると、自分の状態というのははだいたいわかる。
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