夕暮れの横須賀。
まだ灯りをともさないネオン看板が並ぶ飲み屋横丁を抜け、約束の場所までやってくると、男性が一人、こちらに背を向けて立っている。パリッとした紫のシャツを着こみスラックスのポケットに片手を入れたまま、ゆっくりとタバコをくゆらせている。白髪交じりの髪は短く刈り込まれ、年配の方なのだが、凛とした佇まいである。
「おう、来たか」
こちらが挨拶するなり振り向いたのは、〈流しのカズさん〉。
筆者は約束の時間に出向いたが、カズさんはずいぶん前から待ってくれていたようだ。
こちらは名刺を渡したが、カズさんは名刺を持たない。横須賀の酒場なら、名乗るだけで顔が利く。この方、横須賀に唯一人残る、〈流し〉なのである。
(撮影:三輪友紀)
いや、横須賀に限らず首都圏でも、歴史的存在としての〈流し〉は、もうカズさんしかいないのではないだろうか
(東京では恵比寿などに若い流しの方もいるようだが、後述する、「戦後の盛り場から生まれた流し」は、他にいたとしてもおそらく、お一人かお二人くらいだろう……)。
ここは、横須賀・若松マーケット。終戦後に生まれたヤミ市がルーツの、古く、それだけに味のある、くねった路地が続く飲み屋街だ。
名物の「横須賀ブラジャー」を飲みながら、カズさんに話を聞いた(ブランデーとジンジャーエールのカクテルだから「ブラジャー」。ちなみに、筆者は無理くり作ったご当地メニューにあまり惹かれないが、これは素直に旨いしアリだと思う。何より、地元の常連客たちがよく飲んでいるのが、好ましく思える)。
カズさんまで続く〈流し〉の系譜は、
終戦後の盛り場から始まった。
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