前々回に登場させてしまった僕の母・フミエについて、もうちょっと書く。
母は昭和3年に大阪で生まれた。母の母は芸者をしていたという。
母の父・キチジは東京の人間で、板前をしていたが、東京に住めなくなるような事をしでかしたのか大阪に移る。そしてその地で料理人としてというよりアイデアマンとして成功した。フミエの誕生前すなわち大正末期から昭和初期、関西人にとって、まぐろは鍋で煮て喰うものだった。そんな時代にキチジは大阪で、まぐろの握りを名物とした江戸前寿司店を始めたところ珍しかったため繁盛したのだという。
「ほうき」というのがフミエの母・ソノが当時のキチジにつけたアダ名だったという。掃除に使うほうきである。ほうきを使ってサッサッと掃くと部屋のゴミやホコリが集まるように、キチジが夜の大阪の街をサッサッと歩くと女たちが集まってくるというのである。なかなか粋なアダ名だが、フミエの母すなわちキチジの妻は「ゴミやホコリのような女たちが……」と言いたかったのかもしれない。
キチジは、ほうきであるだけでなくチリトリも兼ねていた。集まってくる女たちを連れて、どこかへ行ってしまって家には帰ってこないのだという。朝になると帰ってくる。
そのうちキチジは死んでしまった。お金は、あまり残っていない。ソノとまだ幼いフミエは、母一人娘一人。
ソノは芸者に戻って働いてフミエを育てたのだろうか? ヒトシはフミエから祖父キチジの話はよく聞いたが、祖母の話はあまり聞かなかった。
フミエは後にヒトシに「あたしのお父さんはカッコいい人だった」と語った。
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