以前にも書いたように一般的に挨拶はとても大切なことだとされている。
なかでも「いただきます」「ごちそうさま」に対しては、とくに厳しく重んじる人が多いように思う。
この2つの挨拶は、他の挨拶と比べて「今ここ! 言うタイミング!」というのがハッキリとしていて言う場面が明確だから、そのわかりやすさの分だけ言わない人がいると目につきやすいのだと思うのだけど、これらの挨拶に対して「言えた方が素敵!」というよりは「言わないヤツがいるとドン引き」と考えている人が結構いて、「言うのが当たり前」であってそれをできないのは「人として無い」「そういう人は恋愛対象から外れる」という話をよく聞く。
しかし私は「いただきます」「ごちそうさま」を言わない。最後に言ったのいつだったけ?と思い返してみても、心当たりがないほどなので、今年に入ってから一度も言っていないことは確かで、去年も一度も言っていない可能性がある。言うような場面がなかった。
この人って自分の頭では何も考えていないんだなぁ
「いただきます」「ごちそうさま」と言う人のことを見てどうこうは思わないのだけど、それを言うことを重要視する人のことはどうかと思っていて、「(それが言えない人は)恋愛対象から外れる」と言う男性を見かけると、こちらこそあなたは恋愛対象から外れてますと思う。私にとって「いただきます」「ごちそうさま」を重要視する価値観は、この人って自分の頭では何も考えていないんだなぁという認識につながる。
この2つの挨拶を重要視する人にその理由を語らせると(訊いていないのに語り出す人が多い)、「お米とか農作物とかを作ってくれた人への感謝の気持ち」「料理を作ってくれた人への感謝の気持ち」「命を戴くことへの感謝の気持ち」などが挙げられる。それ以外は聞いたことがない。
大真面目な顔をしてそう語る人を見るたびに、馬鹿の一つ覚え、というナレーションが私の脳内で流れる。
もし「お米とか農作物とかを作ってくれた人への感謝の気持ち」だとするならば、ここで言ってもしょうがないだろう、と思う。こんなところでそんな小さな声で言っても、相手には聞こえていないし、届いていない。
それにお店で食事をしている時の「いただきます」「ごちそうさま」が「料理を作ってくれた人への感謝の気持ち」であるのなら、それこそ、対面の相手にしか聞こえない声で囁いてどうするんだという話で、まったく意味がない。
それを言う理由が本当にその手の具体的な誰かへの感謝ならば、その人に届くようにそれを発信するべきで、農家に手紙を送るべきだし、シェフを席に呼ぶべきだ。
私は、お礼を言いたくなった時はシェフを呼ぶ。もしくは厨房に声をかけに行くか、店員さんに伝言を頼む。「このレシピを考えた人は誰ですか?」と訊いて、その人にお礼を言う。食材に感動した時は、それを作った農家の人たちに手紙を書くことやメールを送ることを検討する。
「こんなに美味しいものを作れるようになってくれてありがとう、おかげで私は今日、こんな幸せになれました」と、ちゃんと相手に伝える。
もし「命を戴くことへの感謝の気持ち」が理由ならば、こんなことのために命を奪われた側の身になれと思う。何の縁もゆかりも思い入れもない赤の他人に食べられるために殺された生き物たちの心情を考えたら、そこへのコメントとして、そんな一言はあまりに軽すぎる。軽すぎて、もし私が牛や豚や魚ならば、逆にムカつく。そんなことで感謝した気になられても困る。そもそも感謝などされたくもない。本当にこちらのことを思いやる気持ちがあるのならば、「ありがとう」ではなく「申し訳ない」という方向性の気持ちを持って、食べることをやめる判断をしてくれと思う。
もしも本当に感謝の気持ちがあったなら
ただ、これらに関してはそもそも論で、そもそも「いただきます」「ごちそうさま」と言っている時、その人たちは何も考えていないと思う。「ていうか、絶対、感謝とかしてないでしょ君」と、私は思っている。
誰のことも頭に思い浮かべず、とくに何も考えずに言ってるし、非常識なヤツと思われないためのポーズでしかないでしょ、と。
だって、もし本当にその手の感謝について思いを巡らせているとしたら、さすがに尺が短すぎる。5秒足らずで、そんな込み入ったことを考えられるわけがない。
時々、食事の前に10分くらい手を合わせ目を閉じてブツブツと何かを言っている人がいるけれど、そういう人を見かけた時には「ああ、本当に感謝してるんだなぁ」とは思う (でもそのやり方じゃ相手に伝わらないからただの自己満足だよ、とも)。
ただそんな人は滅多にいなくて、ほとんどの人は何も考えずに、ただ習慣として「いただきます」「ごちそうさま」と言っている。かつて親や先生に仕込まれたものを引きずっているだけで、そこには本人の意志など一切ない。考えがあったとして「常識だから」「言わないと礼儀知らずだと思われるから」とかであって、感謝などではないし、感謝だとしたら届いていないから意味がない。
ちなみに私がシェフに「ありがとう」と言う時、それは作ってくれたことに対してのお礼ではない。そこに対しての感謝はない。シェフにとって調理することは仕事であり、こちらはお金を払っている。値段に見合った美味しい料理を提供するのは当然のことだ。むしろシェフからしたら、客になってくれる人がいるおかげで大好きな料理を仕事にできているわけで、私たちはギブ&テイクの関係といえる。
私がシェフに「ありがとう」と言うのは、修行する道を選んでくれたことや、今日この日までストイックに料理と向き合い続ける生き方をしてくれたことへのお礼だ。
あなたがそういう風に生きてくれたおかげで私は「美味しい」にありつけた、と思うから、「あなたの努力が私を幸せにしてくれました」という意味で「努力してくれて、ありがとう」と伝える。「こんなに美味しい料理が作れるほどの修行をしてくれてありがとうざいます」と伝えたくなる。
なぜ伝えたくなるのかと言えば、その人にこれからも料理をやめないで欲しいから。私が伝えることで、モチベーションになったらいいなと、私がこの先もその人の料理を食べたいが故に、その下心から伝えている。
ご馳走してもらう時こそ、「いただきます」を言わない方がいい
誰かに食事をご馳走してもらう時にも、基本的には「いただきます」「ごちそうさま」は言わない。
まず、食べる段階ではまだ会計前なわけで、ご馳走になることが確定しているわけじゃないのだから「いただきます」とその人に向かって言うのは、逆にどうなのそれと思う。もし相手に奢る気がなかった場合「え、こいつ奢られる気なの?」と困らせることになる。
それに「ごちそうさま」のタイミングでは、そんな取ってつけたような挨拶よりも「あ——美味しかった!!すごい美味しかった、食べられて幸せだったー」と興奮気味に感想を述べた方が喜ばれる。「ダメだ、さっきのアレが美味しすぎて、余韻が抜けない。今日はもう何もできない」とダラダラしてくつろぎ始めたりする方が「どんだけ喜ぶのww」となり「まあ、そんなに美味しかったなら良かった」となり「食べさせてあげた甲斐があったなぁ」となって奢った側は満たされるし、こちらのことを奢る前よりも好きになったりする。
私がご馳走してもらう時に心がけていることは、礼儀正しい人として相手の目に映ることではなくて、いかにこの食事が楽しくて美味しくて幸せかを目に見える形で表現することだ。
そしてその意味だと「いただきます」は言わない方がいいとすら思う。だって「いただきます」と言えるということは、冷静ということであり、それほど料理に興奮していないということだ。私は料理が運ばれてきた瞬間から「やばくない? やばくない?」と騒ぎ出し、「待てない! 食べたい!」と言って食べ始める。その方が喜ばれる。10代の頃から、公私ともに誰と食事をしても「美咲ちゃんとごはんを食べると楽しい」「奢り甲斐がある」「色んなお店に連れて行きたくなる」と言われていた。
「いただきます」「ごちそうさま」を言わなかったことで嫌われたことなど一度もないし、人と食事をすることはその後にプラスになったことしかない。
私が「いただきます」「ごちそうさま」を言う時
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