一故人

​野際陽子—W浅野から「ママ」と呼ばれて

NHKのアナウンサーを経て、女優としてドラマを中心に活躍した野際陽子。その歩みからは、いくつもの挑戦と、そこからうかがえるプロ意識が見えてきます。今回の「一故人」は、多くの人から敬意を払われた彼女の人生を取り上げました。

浅野ゆう子とは母娘のような仲に

1988年7月にフジテレビで放送が始まった『抱きしめたい!』は、いわゆるトレンディドラマの走りとされる。主演を務めたのは、当時ファッションリーダーとして若い女性を中心に支持を集め、「W浅野」と呼ばれていた浅野ゆう子と浅野温子だ。じつは二人が共演したのは、この作品(後年4度放送されたスペシャルドラマ版も含め)がいまのところ唯一である。

『抱きしめたい!』で浅野ゆう子の母親役を演じたのは、当時52歳になっていた野際陽子(2017年6月13日没、81歳)だった。このとき共演するうちに浅野温子が野際を「ママ」と呼び始め、浅野ゆう子もまた野際と仲良くなりたくて、そう呼ぶようになったという。

浅野ゆう子は野際と、『抱きしめたい!』の収録の打ち上げをきっかけに急速に親しくなる。これ以後も、『長男の嫁』(1994年、TBS)などたびたびドラマで母娘を演じた二人は、プライベートでも食事をしたり旅行に出かけたりと、実の親子のような仲になったという。

『抱きしめたい!』で浅野ゆう子が演じたのは、専業主婦の役だった。これに対し、浅野温子は、独身の売れっ子スタイリストを演じた。男女雇用機会均等法が施行されたのは、このドラマの放送される2年前、1986年のこと。ドラマの世界でも、男たちと対等に仕事をこなし、なおかつファッショナブルで恋愛にも積極的な女性が続々と登場し、同性の視聴者の共感と羨望を集めた。

じつは野際陽子こそ、そうした社会で華々しく活躍する女性の先駆けともいうべき存在だった。名門私立大学を卒業後、NHKにアナウンサーとして入社、その後フリーの司会者、さらには女優となるも、いったん仕事を中断して夢だったフランス・パリに留学する。帰国後はふたたび女優に復帰、30代後半には俳優の千葉真一と結婚して一児を儲けた。

千葉とは58歳のときに離婚し、「熟年離婚」と騒がれる一方、このころには強烈な個性を持つ母親や姑の役で、テレビドラマに欠かせない存在となっていた。なかでも1992年放送の『ずっとあなたが好きだった』(TBS)では、佐野史郎演じる息子・冬彦を溺愛するがあまり、嫁(演じたのは賀来千香子)を徹底していびる鬼姑を好演し、話題を呼んだ。

このように野際陽子は、年代ごとに異なる魅力を発揮した。あらためてその人生を振り返ってみたい。

NHKからフリー宣言、そしてフランス留学

野際陽子は1936年1月、石川県の母親の実家で生まれた。このころ自宅は富山県長柄町にあり、野際は3歳までそこですごしたのち、家族で上京している。技官だった父親が、勤務していた富山県庁の電気局が廃止されるのを機に起業を決意したためだ。

戦時中は母の実家に疎開した。このとき、東京から向かう途中、高崎で空襲に遭い、列車から避難するなど這う這うの体で石川までたどり着く。疎開先でも慣れない雪国の暮らしから、つらい思いをすることもあったようだ。終戦は9歳のときだった。

1948年、中高一貫教育の立教女学院に進む。戦争が終わった解放感から、若い世代が自由を謳歌した時代だ。《私たちは、民主主義、男女平等、平和憲法など、戦後の自由で新しい国をつくるという思想を海綿のように吸い取ってきた世代だと思う》と野際はのちに語っている(『FLASH』1993年9月28日号)。次々と公開されるアメリカ映画にあこがれ、高校では映画部を創設した。

推薦で入学した立教大学では、ESS(英語研究会)のドラマセクションに入り、英語劇に出演。このサークルの1年先輩に、のちにテレビレポーターとなる東海林のり子がおり、舞台では姉妹役で共演したこともある。大学3年のときには、学生劇団「テアトルジュンヌ」に入団し、フランスの芝居を日本語で演じた。フランスには、高校時代にロマン・ロランの小説を読んで以来、強いあこがれを抱くようになっていた。

大学卒業後は女優をめざして劇団に入ろうかとも考えた。だが、劇団四季から学生劇団に顧問に来ていた先生には、「君は背が高すぎるから、役がないかもしれない」と言われる。ほかの劇団も、文学座は新人の募集がなく、俳優座養成所では一人前になるには3年かかると知り、「大学に4年行って、そのあとも3年定職につかないのでは家に悪い」と結局あきらめた。

そこで大学の掲示板にあった数少ない求人のうち、NHKを受験する。このときアナウンサー志望者が3500人も集まったが、野際はそのなかで女性2名の合格者に入り、1958年に入局した。

NHKでは朝の番組『おはようみなさん』などで司会を務める。『おはようみなさん』を見ていたタレント・エッセイストの三國一朗は、野際に度胸を感じ、「テレビ番組で司会者は男性、アシスタントは女性というパターンがいつか逆転する」と予感を抱いたという(『サンデー毎日』1980年4月20日号)。

しかし、野際はNHKを1962年に退職する。それは、ある広告代理店から、NHKの給料の3倍の額でプレゼンテーションの仕事を依頼されたのがきっかけだった。学生時代よりフランスに留学したいと思っていた彼女は、そのための資金が稼げると、この話に飛びつく。プレゼンテーションの仕事は結局立ち消えになるも、代わりにくだんの代理店がスポンサーについたトーク番組『女性専科』(TBS)で司会を担当し、約4年間務めた。NHKの女性アナウンサーからフリーに転じたのは、彼女が第1号だった。

女優業を始めたのもこの時期である。のちに『岸辺のアルバム』などの名作ドラマを送り出すことになるTBSのプロデューサーの大山勝美から声をかけられ、『悲の器』(1963年)というドラマに出演したのが最初だった。同年に出演した『赤いダイヤ』(TBS)では、悪女ぶりが評判を呼ぶ。

女優になったのも、留学資金を貯めるため、もっと儲かる仕事を求めた結果らしい。4年かけて200万円を貯めた彼女は1966年、30歳にしてついに渡仏し、パリ・ソルボンヌ大学で語学を学ぶ。貯金は1年で使いはたし、翌67年に帰国して女優・司会業に復帰する。帰国時、飛行機から、日本ではまだ珍しかったミニスカートをはいて颯爽と降り立つ姿は、人々に鮮烈な印象を与えた。

帰国からまもなくして市川雷蔵と共演した映画『密命』では、スパイ活動に生きがいを見出す外交官未亡人を好演し、悪女の呼び声はますます高まった。これに対し、当時野際はこう語っている。

《でも、悪女って、なんでしょうかね。どんなにいい人でも、悪いところもあるし。男がやれば“かい性”といわれることでも、女がやれば悪女になってしまう。だから、いまの悪女は、生きることに強い女という感じですね》(『週刊読売』1967年6月9日号)

この発言はその後の彼女の役柄や生き方を思えば、示唆的である。同じ記事では次のような仕事観も語っていた。

《仕事は大切だけれども、生きるということは仕事だけではない、という気がしているんです。仕事は、簡単にいえば収入を得ることだし、自分自身の生活は、また別のものでしょう》

野際はいくら女優として脚光を浴びても「仕事とは収入を得ること」と割り切りっていた。「モーレツ社員」という語が流行し、仕事に打ち込むことこそが美徳とされた高度成長期にあって、こうした考え方はかなり異彩を放ったのではないだろうか。

しかし、その野際もやがて収入を得る以外の目的を仕事に見出すようになり、本当の意味で女優に開眼する。契機となったのは、千葉真一と結婚したあと、出産と育児を経験したことだ。

出産を機に女優に開眼

千葉真一とは、1968年に始まったドラマ『キイハンター』(TBS)で共演したのがなれ初めだった。千葉によれば、野際は人見知りゆえ、最初はとっつきにくかったが、しゃべってみるうちにしだいに相性がよくなってきたという。『キイハンター』でも、アドリブでセリフをやりとりするようになり、二人の会話が面白いと評判を呼ぶ(千葉真一『千葉真一 改め 和千永倫道』)。

そのうちに野際のマンションに千葉が移り住み、半同棲生活を始める。それがマスコミに発覚したのを機に、1972年に結婚。野際が36歳、千葉が33歳のときだった。ヨーロッパを新婚旅行中、野際はワイドショー『3時のあなた』の司会者のオファーを受ける。千葉からは、映画を撮るので収入が少なくなると宣言されたばかりだった。そのため自分が稼がなくてはいけないと思っていたこともあり、千葉と相談のうえ司会を引き受けた。

ちょうど千葉がアクション俳優・スタントマン養成のためジャパンアクションクラブ(JAC、現・ジャパンアクションエンタープライズ)を設立してまもなかったころだ。千葉は、野際が生活費を稼いでくれたおかげで、自分の収入はすべてJACにつぎ込めたと、著書のなかで彼女に感謝している(前掲書)。

しかし千葉は、本音では、妻には家にいてもらいたかったらしい。そのため、野際は仕事を依頼されるたびに、夫に相談して許可をもらわねばならなかった。それでも女優の仕事はやめたくなかった。彼女は後年、当時を振り返り、《疲れた顔を見せたり、子供を犠牲にしたりすれば、夫から『そんなことなら仕事をやめろ』と言われてもしかたないでしょ? 仕事を一生続けたかったからこそ、妻や母という役割も何とかやっていけたんです》と語っている(『MORE』1994年1月号)。

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この連載について

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一故人

近藤正高

ライターの近藤正高さんが、鬼籍に入られた方を取り上げ、その業績、人柄、そして知られざるエピソードなどを綴る連載です。故人の足跡を知る一助として、じっくりお読みいただければ幸いです。

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コメント

takasan1701 twitterの使い方ほんと悩むなぁ・・・ 以前一日1回自分の仕事の画像アップしたらいいよって言われたっけ ​ 野際陽子――W浅野から「ママ」と呼ばれて|近藤正高| 2年弱前 replyretweetfavorite

yomoyomo 野際陽子――W浅野から「ママ」と呼ばれて|近藤正高 @donkou | 約2年前 replyretweetfavorite

u5u “主演の羽田美智子が「死ぬ気でやります」と言うので、野際は《一番の目標は死なないことです》とあいさつしたという” 約2年前 replyretweetfavorite

drops2012 野際陽子――W浅野から「ママ」と呼ばれて|近藤正高 @donkou | 約2年前 replyretweetfavorite