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これ以外のことについては秘密を守るので、書いてしまうことを彼にはどうか許してほしいのだけれども、その人は——そのころの、その人は——ビールを飲まないとセックスできない人だった。
当時の私が18歳未満であったかどうかは覚えていない。少なくともそれは、私が私に「異性とセックスすることで自分は同性愛者なんかじゃないと自分に言い聞かせようとするのはもうやめよう」と思えるようになった22歳ごろより前のことだったのだろうとは思う。その人は私に、私の収入では買えない食事をおごり、そのあとコンビニに入って長い缶のビールを買って飲んで酔ってからもしくは酔ったことにしてから私をラブホに連れ込む人だった、愛してなかった、愛されてもなかった、渋谷だった。
「行かない」
というようなことを私は言ったと思う。昼の渋谷はうるさい。夜でもうるさいけど。私の中には私の言葉以外にいろんな音や言葉や臭いや光景つまりノイズが流れ込みまくっていたので(コンタクトのアイシティでーすNOW ON AIRバーニラッバニラ高収入~!)、その時の私が正確になんと言ったのだか今の私は覚えていない。もったいない。記念すべき一言だったのに。私が、私の人生において、誰かに愛してもらうためになにかを差し出すことはもうやりたくないと宣言したはじめての一言だったと思うのに。
その一言を思い出せなくてもったいないので、一言よりももっと言葉を尽くして、私はちゃんと書いておきたいと思う。いまだに「なにかを差し出して愛してもらおうとすること」をやめられない私が、もう、「今度こそ本当の本当にやめよう」って宣誓する文章として。時間や、購読してくださっている場合はお金をも使って私の文章を読んでくださる読者のあなたには、付き合わせて申し訳ないような気もする。けれど、愛されるために何かを差し出すってことをしてしまう人は、明らかに私だけではないだろうとも思うので、この宣誓文には意味があると信じて、書く。話の続きをしよう。
「なんで?」
と面食らった様子の彼はもうビールを買っちゃっていた。せめてビールを買っちゃう前にセックスしたくないとはっきり言ってあげればよかったなと私は彼をかわいそうに思った。男の人、というか、おちんちんが生えており食べたものが日々精子に変わっていくからだの仕組みを持っている人の一部は、しばしば「溜まる」という表現をする。それをなんとか外に出さないとつらいらしい、というのに対し、私には、ただただ「たいへんそうねえ」という感想しかない。世の中には、人が溜まっている状態に興奮する人や、人に溜まったものを出してもらって喜ぶ人もいる。が、私は違う。私は、私が、ゴミ箱になったような気持ちにしかならない。
にも関わらず私は、美人で清楚でエロいのに男性を優しく包み込む一途なゴミ箱であることが、女性に生まれた私の社会的役割であると強く強く信じ込んでいた。「男は溜まるものがあるんだから本能的にしょうがない」とか、「ちょっとしたセクハラくらい笑って受け流せてこそ大人の女だ」みたいなことを、私より年上の権力ある人たちが言うので、あ、そっかー、しょうがないんだー、溜まるんならしょうがないよね! 溜まらない上に穴が開いている私はゴミ箱としてはたらいてあげなくちゃいけないんだね! それが私の使命! そう、ミッション! と思いながら、良きゴミ箱であろうとした。
そうすることで社会から存在の許可をもらいたかったのだと思う。
事実、良きゴミ箱であろうとする限り、私は誰かに必要としてもらえた。会いたいと言ってもらえた。きれいだと言ってもらえた。名前を呼んでもらえて、体も触ってもらえた。あ、私は、ここに、ちゃんといるんだな、と、思えた。
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