重なり合う都市型ポップスの系譜
「渋谷系」というのは90年代に起こり、そして時代と共に終わっていったひとつのムーブメントでした。ただ、僕らが作り上げた音楽の中には、単なる一過性のブームでは終わらせない、本質的な価値観がありました。
それが渋谷から生まれる「都市型ポップス」というものの一つのエッセンスになっているのです。ここまで語ってきたように、渋谷という街には、その時代、その時代で、常に同時代の洋楽に憧れを持ち、そこにアプローチし、そのエッセンスを研究し、実践するミュージシャンがいた。彼らが独自の日本語のポップスを生み出し、それらが系譜となって連なってきた。
僕はそこで常に人と人を結びつけるハブのような役割を誰かに背負わされたのかもしれない、と今は思います。
90年、フリッパーズ・ギターがデビューして少しずつ評価を高めていた頃に、加藤和彦から久しぶりに連絡がありました。「フリッパーズ・ギターをやってるの、牧村くんだよね。アルバムを聴いたんだけど、すごくいいね。次のアルバムをプロデュースしたいんだけれど」と言う。
そして大滝詠一は、90年代になってリリースされた『NIAGARA CM SPECIAL』の曲解説の中で僕の肩書きを「シュガー・ベイブのマネージャー」から「フリッパーズ・ギターのディレクター」へと変えていました。それは、かつて自分がやっていた方法論と同じことをしている若い世代の存在を認めているという彼なりのメッセージだと僕は感じました。加藤和彦と大滝詠一という、自分にとってエポックメイキングな出会いをした重要な人物のふたりがフリッパーズにリアクションを示したというのは、自分にとっても嬉しい事実でした。
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