トラットリアの遊び心
93年、トラットリアはレーベルとして本格的に動き出していました。それ以降、僕が作品の制作に関与することは徐々に減っていきました。「渋谷系」という言葉を耳にするようになったのはこの頃のことです。
トラットリアは櫻木景も含めて、若い人たちがいいと思ってるものをやればいい。僕はその結果に責任を持てばいい。5年間も苦楽を共にしているわけだから、どういうことをやれば面白いか、そのセンスも完全に吸収している。そう考えたわけです。僕の立場は「エグゼクティブ・プロデューサー」になっていきました。櫻木景の仕業で、ある年度からは「プレジデント・プロデューサー」というクレジットになっているはずです。
トラットリアは、とにかく遊び感覚のあるレーベルでした。
レーベルの看板はコーネリアスとカヒミ・カリィ。彼らの仲間だったブリッジも所属していた。それだけでなく、海外のアーティストもリリースしていました。「トラットリア・ファミリー・クラブ」という名前で廃盤を再発したりもしていた。冗談交じりで「デス渋谷系」なんてカテゴリーを作って、中原昌也がやっていたノイズユニットの暴力温泉芸者をリリースもした。ひとつのレーベルの中で遊べるだけ遊んでいた。しかもレコードだけじゃなく、Tシャツやカレンダーも出していた。
94年にはムッシュかまやつのアルバム『Gauloise』もトラットリアからリリースしました。
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