『カメラ・トーク』でロンドンへ!
90年の1月にシングル「フレンズ・アゲイン」をリリースした頃には、初回出荷が3000枚だったファースト・アルバムの売り上げは、いつの間にか1万枚に達しようとしていました。六本木WAVEを筆頭に、都心の外資系レコードショップで話題になっていたのです。
そして、90年5月にリリースされたシングル「恋とマシンガン」で、彼らの存在は世に知れ渡りました。『予備校ブギ』というドラマの主題歌になったことが、セールスを大きく押し上げたのです。
ドラマ主題歌になったきっかけは、89年末、ふたりになったフリッパーズのミュージックビデオを作ったことでした。アルバムの売り上げが徐々に伸びてきて、新たに広告費を使えることになった。その予算を使い、信藤三雄と山口保幸にお願いしてクオリティーの高いミュージックビデオを作った。MTVを情報源にしていた当時の洋楽好きに届けようと考えたのです。
それが萩原健太が司会をしていたTBS系の番組『MTVジャパン』でオンエアされて、すごく反応があった。そしてTBSのドラマ制作班が番組を観てフリッパーズに主題歌を依頼しようということになった。
こうして彼らへの注目が高まる中、セカンド・アルバム『カメラ・トーク』の制作がスタートしました。
僕が考えたのが、ロンドンでレコーディングをすること。当時、海外レコーディングというのは制作面でも宣伝面でも有効な手段で、加えて本人たちが望むミュージシャンたちとレコーディングするということに大きな意味があった。彼らはイギリスの音楽シーンに憧れているわけだから、ロンドンでレコーディングをすればいい。そう考えました。ふたりもモノクローム・セットやアズテック・カメラ周辺のミュージシャンを使いたいと言う。それは僕も賛成でした。
曲作りはロンドン出発前の成田空港のホテルや到着後の列車の中でも続けるくらいギリギリでしたが、レコーディング・セッションは充実した体験になりました。ジョージ・マーティンの作ったロンドンの「AIRスタジオ」を使えたのも大きかった。というのも、ビートルズやポール・マッカートニーが録音するときにはどのマイクをどういう状態で使ったか、分厚いノートとフロッピーディスクに全部残っていた。そういう意味ではスタッフもすごく影響を受けました。
「恋とマシンガン」の成果
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