交通事故から二人組に
こうして89年の8月25日にファースト・アルバム『three cheers for our side ~海へ行くつもりじゃなかった』がリリースされました。ただ、アルバムリリースの直前に小山田圭吾が交通事故に巻き込まれて全治6ヵ月という重傷を負ってしまった。入院でリードヴォーカルを失ったバンドは活動休止を余儀なくされます。9月に発売記念ライブも計画していたけれど、結果的にそれも延期になってしまった。
そして退院の予定が見えてきた頃、小山田圭吾と小沢健二が「これからはふたりでやりたい」と言ってきました。ふたりになることでもっとレベルの高いレコーディングをしたい気持ちが固まっていったんじゃないかと思います。
後戻りができない話だとわかりました。ロリポップ・ソニックとの決別であり、これがフリッパーズの本当の始まりとなりました。
その後のレコーディングはふたりとサポート・ミュージシャンで、いわばスティーリー・ダンのようなスタイルで音楽を制作していきたいということになった。もし入院期間がなかったら全く違ったバンドになっていたかもしれない。ひょっとしたら、その段階でバンドも終わっていたかもしれない。
そうして11月、退院してから制作を開始したシングル「フレンズ・アゲイン」から、フリッパーズ・ギターは正式に2人組となりました。このレコーディングには元ピチカート・ファイヴの佐々木麻美子がコーラスに参加。その後も長くサポート・メンバーとなる平ヶ倉良枝がドラムとパーカッションを担当しています。その後、メンバーだった井上由紀子はライターとなり、荒川康伸はトラットリアのディレクターとして音楽の世界で仕事を続けることになります。