フリッパーズ・ギター始動!
僕はフリッパーズのファースト・アルバムの制作にかかりっきりになっていきました。
まずはサロン・ミュージックの吉田仁、竹中仁見のふたりに付き添ってもらって、都内を離れた富士五湖近くのスタジオで2泊3日の合宿レコーディングをやってもらいました。ただ、それは上手くいかなかった。ふたりも「まだ彼らにレコーディングをやれるだけの力はない」と言う。まだまだアマチュアのレベルだった。
そのときの報告がファースト・アルバムをどう作っていくかのヒントになりました。アレンジは彼らに、サウンドプロデュースをサロン・ミュージックに依頼しました。周囲を固めて、南麻布にあったスタジオインパルスをおさえて約1ヵ月半かけてレコーディングを進めていった。
フリッパーズ・ギターという名前が決まったのもその頃でした。レコーディングの終盤に僕が「ロリポップ・ソニックって造語っぽいね。何か他の名前はないかな」と言ったら、彼らも意外にもOKした。できればメンバー側から候補を挙げてほしいと言ったら、ドラムの荒川康伸が「フリッパーズ・ギター」という名前を考えて持ってきて、全員一致でそれに決まった。
そうしてファースト・アルバムが完成しました。かかった経費は自分でもさすがに驚いた、トータルで3000万円。時間を短縮する方法はいくらでもあったけれど、彼らを育てるという意味も含めてそれでいいと思った。
ファースト・アルバムの制作は、いわば彼らにとってミュージシャンとしての学校に通っているような体験でした。優秀なエンジニアがいて、サロン・ミュージックという優秀なサウンドプロデューサーがいた。そこでの経験が小山田圭吾、小沢健二を大きく成長させたのは間違いない。その過程を経て、彼らはアマチュアからプロになっていったんです。
最初に気付いたのは六本木WAVEだった
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。