第二章 人殺しの影 8 遺伝子が泣いている(後編)

佐伯にとんでもない頼み事をされ、憤りを隠せない徹生。過去を思い出し、徹生は改めて自らのやるべきことを確認する。平野啓一郎さんの小説『空白を満たしなさい』が、3章までの限定公開です。

「どけ!」

「あなた、さっき言いましたよね、俺に出来ることはないかって。一つ、私を助けると思って、願いを聞いてもらえませんか。」

「断る! いやだ! あんたと同じ空気を吸ってると思うだけで、気分が悪い!」

 そう言って、徹生はドアを開けた。静かだと思っていたが、遠くの大通りを走る車の音が、微かに聞こえてきた。

「聞くだけ聞いてください。」

「うるさい!」

「あなたがそこまで言うんですから、あなたの奥さんは、きっと、よほど素敵な女性なんだと思うんですよ。実は、前々から想像してたんです。そこで、私の切なる願いですがね、一つ、奥さんの遺伝子と私の遺伝子とを合体させてもらえませんか?」

「何!?」

「ご心配なく。私はこう見えても、性欲の処理はうまくやってる方なんですよ。ただ、私には親密な世界がないんです。生殖をさせてもらえるような。しつこくしません。遺伝子を遺させてもらえれば十分なんです。遺伝子レヴェルでの結合! ほら、あのハエ男の映画があったじゃないですか。あれには、つくづく共感するんですよ。私はきっと、今と違った心境になれる気がするんです。」

「この野郎!」

 徹生は血走った目で、佐伯の襟元を掴んだ。

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空白を満たしなさい

平野啓一郎

cakesでもインタビューを行った、平野啓一郎さんの小説『空白を満たしなさい』(講談社)が、3章までの限定公開です。年間約三万人の自殺者が出るこの国で、生と死、そして幸福の意味を問う意欲作。平野さんの考えた概念「分人」をまとめたcak...もっと読む

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hiranok cakesの試し読みの続きです。【 5年以上前 replyretweetfavorite