おごられることに、ためらいは不要
今回のテーマは「おごられるのはいいが、おごるのは嫌」だ。
おごり、最高だ。
よく働かずに食う飯が美味いか、などというが美味いに決まっている。
むしろ、おごりというだけで不味(まず)がるなんて、食い物への冒瀆(ぼうとく)ではないか、誰の金だろうがわざわざ食卓に並んでくださったのだから、おいしく食べるべきだろう。
ちなみに私などは、あまりに私がソシャカスなため、他人からグーグルプレイカードの施しを受けることがある。それで高レアカードが出たとしても「これは自分の実力で出したものではない」などと言って捨てるなどということはまずありえない、即ロックだ。
たとえ何も出なかったとしても、自分の懐が痛んだわけではない、つまりおごりというのは得しかなく、少なくとも損はないのだ。
「海水をたらふく飲ませてやる」と言われた場合は得がなく、むしろ損じゃないかと思われるかもしれないが、それはおごりではなく殺意なので、早急に席を立とう。
よっておごられるだけならいくらでもおごられたい。
しかし、おごるとなると話は全く別である、まず物理的に自分に得は一切ない、金銭的にはマイナスだ。
それに我々が日々、何故やりたくもない仕事をやっているかというと、自分が生きるため、または趣味など、自分の人生の楽しみのためである。
そのために、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、ドラえもんに泣きつくのび太の如(ごと)く「わ~ん!ロキソニ~ン!また上司にいじめられたよ~」と大声で独り言をいいながらボリボリ頑張っているのである。
それが「ハルシオ~ン!」になってきたらちょっと頑張りすぎなので休養した方がいいだろう。
「おごる」という行為にふさわしい人間とは?
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