星太朗の小説。百年。アルバム。昔のノート。トランプ。お気に入りのタオルケット。
ムッシュが選んだ物をナップザックに詰めると、それをすっぽりリュックに入れて、星太朗は靴を履いた。
入りきらなかった本と、倫太朗コレクション、赤いラジカセは、明日星太朗が送ることにした。
重いドアを閉めて、団地の階段を一歩ずつ下りる。
明日にしようよ、とムッシュは言ったが、星太朗は今夜お別れすることに決めていた。
ムッシュはそれを受け入れるかわりに、交換条件を持ちかけた。
暗い夜道を、ぬいぐるみを抱いた青年がゆっくり歩いている。
ムッシュの条件は、ただ、抱っこしてもらうことだった。
「抱っこされてお散歩なんて、いつぶりだろ」
「こんなの見られたらやばいよね」
星太朗がはにかみながらムッシュの頬をつつく。
「ひどっ。こんなのって」
ムッシュは怒ってから、同じようにはにかんだ。
幸運なことに、バスには誰も乗っていなかった。
星太朗は一番後ろの席に座り、ムッシュは膝の上に腰掛ける。
貸し切り状態なので会話することもできたが、二人とも黙っていた。
人通りの少ない夜の町を眺めながら、エンジンの振動に身をまかせる。
このまま、ずっとバスが着かなければいいのに。
ムッシュはそう思っていた。
でも夜の道路はがらがらで、バスはあっという間に動物園に着いてしまいそうだ。
ムッシュはおもむろに立ち上がり、勝手に降車ボタンを押す。
バスが止まると、星太朗はわざとらしいため息をつき、ムッシュを抱えてバスを降りた。
ここから夢子ちゃんの家は遠くはないが、なだらかな坂をのぼらなくてはいけない。
「がんばれ~」
ムッシュがありきたりに励ますと、星太朗は息を切らしながら愚痴った。
「抱っこされてるだけだからいいよな」
「じゃあ自分で歩く」
ムッシュは飛び降りようとするが、星太朗は手を解かない。
「いや、いいよ。こんなの余裕だから」
そう言いながら、辛い顔を見せずにのぼっていく。
「ぼくが抱っこしてあげようか?」
ムッシュが真面目な顔で言うと、
「はいはい」
星太朗はいい加減な返事をしたが、その顔は笑っていた。
「あーあ、でもあとババ抜きだけだったのになぁ」
ムッシュが悔しそうにぼやく。
「誰のせいだよ」
星太朗がつっこむと、ムッシュが腕の中で飛び跳ねた。
「そうだ、夢子ちゃんと三人でやらない? ババ抜きは三人の方が楽しいし!」
「いや、気付いたんだ」
星太朗は首を横にふる。
「なに?」
「叶わない方が、幸せってこともあるんだって」
ムッシュは少し黙ったあと、小刻みに何度か頷いた。
「……そうかもね」
「うん」
星太朗が立ち止まり、夜空を見上げる。
やはり星は見えないままだ。
黒い雲が空を覆い、月の光さえも届いてこない。
「あぁ……。でも、星は見たかったなぁ……」
星太朗は本音をこぼすと、真っ暗な空を見つめた。
「知ってる? せいたろ」
「ん?」
ムッシュは夜空を見上げながら言った。
「見えなくても、星はそこにあるんだよ」
星太朗は頷き、またゆっくりと歩き出す。
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