第二章 人殺しの影 6 居場所はもうない(後編)

人が死ぬと、そこには大小様々な穴が生まれる。その穴が塞ぎかけているところに、徹生は戻ってきてしまった。そんな状況を知り無力感に浸される。人の死の重みを痛感した徹生は静かに安西の前から立ち去る……。平野啓一郎さんの小説『空白を満たしなさい』が、3章までの限定公開です。

 園田は、口先だけの調子のいい男だと、前々から思っていた。本人に対する憤りは当然あった。しかし、そんな人間が吹聴して回る根も葉もない噂を、同僚たちが挙って信じ、誰も自分を庇ってくれなかったということの方が、彼にとっては遥かにショックだった。ほとほと嫌気が差して、上司に辞表を提出し、もう机の整理も始めていた。その時に、話を聞きつけて彼を宥め、製缶部門に引っぱってくれたのが、この安西だった。

「園田があとを引き継いだみたいで。」

 徹生は、今更蒸し返すつもりもなかったが、さすがに笑顔はぎこちなかった。安西の顔つきは、急に険しくなった。

「三年の空白を埋めるつもりでやってるなら構わんが、園田に手柄を横取りされたと言いたいなら、見当違いだぞ。」

「いえ、そんなつもりじゃ、」

「ないならいい。あいつも苦労したんだ。売れはしたけど、フタのゴミが出るとか、苦情も色々あったしな。お前が放り出した仕事の尻拭いを、よくやってくれたよ。」

 徹生よりも一回り歳が上の安西は、諭すように続けた。

「お前が企画して、お前が一番がんばったことは、俺もよく知ってる。けど、お前の名前は出せない。わかるよな、それは。」

 徹生は一旦、下を向いてから、

「僕が自殺したから、ですか?」と尋ねた。

「表向きは事故死にしてある。けど、今はこういう時代だから、どこからどう話が漏れるかわからん。俺は人間としてお前に同情してる。けど、仕事でみんなに迷惑をかけたのは事実だ。責めてるんじゃない。ただ、フォローしてくれた園田を、逆恨みするなんてことは勘弁してくれよ。」

「そんなことは、……考えてません。ただ部長、僕は、自殺なんかしてないんです。本当です。これだけは信じてください。僕は、殺されたんです!」

「誰に?」

「確信はないんですが、……」

「園田とか言うなよ。」

 徹生は、考えてもみなかったことに、「いえ、」と首を振った。

「あの佐伯っていう男です。」

「佐伯?」

「警備員の。あのハトを殺した、……」

「ああ、……いたな、そんなの。」

「今はいないんですか?」

「もう長いこと見てないな。なんであいつがお前を殺すんだ?」

「逆恨みされてましたし、待ち伏せされて、酷い口論をして、……」

「冷静になれ、土屋。」

 安西は、憐れむような目つきで言った。「冷静に。そういう思い込みの激しさが、お前を追い詰めたんだろう?」

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空白を満たしなさい

平野啓一郎

cakesでもインタビューを行った、平野啓一郎さんの小説『空白を満たしなさい』(講談社)が、3章までの限定公開です。年間約三万人の自殺者が出るこの国で、生と死、そして幸福の意味を問う意欲作。平野さんの考えた概念「分人」をまとめたcak...もっと読む

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