23歳男性。生後一週間でマクローリン展開をする。四歳でハーヴァードに入学。六歳で数学の博士号を取る。二十歳で万物理論を完成させたのち、「コミュニケーション」の発明を行う古見宇発明研究所を設立する。
ニケ
32歳女性、千葉県出身。古見宇研究所助手。好きなものは竹輪とGINZA。嫌いなものはセリーヌ・ディオン。「宇宙の解」を知って絶望していた博士に「コミュニケーション」という難題を与え、結果的に古見宇研究所の設立に繋げる。
「死にたい……」と思わず声に出してしまうほど、私は落ちこんでいた。
原因は昨日の飲み会だ。酒を飲んでいたというのもあって、学生時代に少しモテたという、くだらない自慢をしてしまい、同席していた知人に「なにそれ自慢?」と笑われてしまった。恥ずかしくて死にそうな気分だった。
「あれ、ニケ君、なんか死にそうな顔をしているね。飲み会で自慢してしまって自己嫌悪にでも陥っているの?」
「なんで、そんなことまで……」
「視線が左上に向いていたってことは何かを思い出していたわけだし、『死にたい』という発言からそれが後悔だとわかる。ニケ君の昨日の予定と合わせれば論理的にわかることさ。
僕から言えるのは、全人類が同じような経験をしているから、それほど恥ずかしがる必要はないし、多くの場合他人はそんなこと忘れてしまっているよ」
「そういうもんですかね……」
「『カラマーゾフの兄弟』に、ゾシマという修道院の長老が出てくるんだけど、彼がある男の話をするんだ。その男は、女性に結婚を申し込んだんだけど断られて、恥ずかしい思いをする。そして、その汚点を他人に知られたくないからと、女性を殺害する。殺害したことを後悔してゾシマ長老に告解するんだけど、今度はゾシマ長老に知られたことが恥ずかしくなってきて、彼を殺したくなってくる。小説の話だけど、世の中にはそういう男もいるんだ」
「ずいぶんひどい男ですね……」
「たしかにニケ君は自慢によって恥ずかしい思いをしたかもしれないけど、その男に比べればマシさ」
「あ、当たり前じゃないですか!」
「まあまあ、自慢自体は別に悪いことじゃない。むしろ、適切な自慢は絶対に必要さ」
「えっ、自慢なんて必要ないですよ。うざいと思われます」
博士は「そうかな……」とつぶやいた。「たとえば、あるところに、二匹のウナギがいるとしよう」
「ウナギですか?」
「そう。ウナギさ。一匹は謙虚なウナギで、もう一匹は自慢たらしいウナギだ。謙虚なウナギに、『どこ出身ですか?』と聞くと、『いえいえ、名乗るほどの場所でもないです』と答える。もう一匹のウナギは、聞いてもいないのに『俺は外国出身なんかじゃなくて、名門・浜松出身で、脂もたっぷりのってるぜ!』と自慢してくる。ニケ君は、どっちのウナギを食べたい?」
「まあ、自慢するウナギですよね」
「謙虚なウナギはこう考えている。『僕も浜松出身だけど、自分から言うなんて下品だ。わかる人は、別にこちらからわざわざ出身地を名乗らなくても、この体を見れば僕が浜松出身だとわかってくれるはずだ。それで十分じゃないか』。でも、ウナギの見た目で産地がわかるほど目の肥えた人間などほとんどいない。それが現実さ」
「たしかにそうかもしれませんが、私はウナギじゃないですし……」
「人間だって同じさ。言われなくても価値のわかるような人間は少ない。もし自分の価値が他人に伝わらなければ、ニケ君は他人にとって安物のウナギとなんら変わらないんだ」
「そんな極端な話なんですかね……」
「そうさ。なんてことのない布の袋に価値があるのは『HERMES』のタグがあるからだよ。そのタグをよく見て『HEMRES』と書いてあれば、同じ布の袋なのに、一切の価値がなくなる。
経歴詐称のバレた何某がどうなったか。彼自身の能力はまったく変わっていないのに、誰も彼の言うことを聞こうとしなくなった。議員バッジを失った元国会議員は? 麻薬で逮捕されたミュージシャンは? 中身は以前と変わっていないけど、誰も興味を示さなくなる。世の中なんてそういうものなのさ。表面に惑わされずに、中身がわかる人間なんてほとんどいないんだよ」
「そう言われてみると納得できますね……。でも、自慢を嫌う人もいます」
「そう。その点は考慮しなければならない。そして自慢には、『自慢を嫌う人』よりももっと強大な敵がいる」
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