第23回 アップルと東レとの決別とその理由。

このままではうまみのないアップル販売事業をそろそろ打ち切るべきではないかという話は、東レ社内から出ていました。1982年3月末の決算で、東レの経常利益は前年度を50億円近く割り込むことが予測されていたからです。役員会に端を発したアップル販売契約打ち切りの話は、常務取締役である中橋から内々に田口に検討事項として伝えられ、羽根田が田口から、この打診についてどう回答するかを問われたのは2月初旬のことでした。

登場人物たち

スティーブ・ジョブズ 言わずと知れた、アップルコンピューターの創業者。1976年に創業し、1980年に株式上場して2億ドルの資産を手にした。その後、自分がスカウトしたジョン・スカリーにアップルコンピューターを追放されるが、1996年にアップルに復帰。iMac, iPod, iPhone などの革新的プロダクトを発表しアップルを時価総額世界一の企業にする。

水島敏雄  東京で「ESDラボラトリー」という小さな会社を営む。マイコンの技術を応用し、分析、測定のための理化学機器の開発を行うために作った会社で、ESDという名称は、 Electronics Systems Development の頭文字をとっている。東レの研究員として働いていた時代から大型コンピュータや技術計算用のミニコンに通じており、マイクロコンピュータの動向には早くから注目していた。ESDは日本初のアップルコンピューターの代理店となる。

『スティーブズ』

曽田敦彦 構造不況の中、業績が芳しくない東レが、「脱繊維」を掲げ新分野として取り組んできたのが磁気素材の分野だった。ソニーのベータマックス用としてはさらに薄地で耐久性のあるテープ素材の開発が必要で、45歳になる曽田はこのプロジェクトの中心として部下に20名以上の研究員を従えている。地味で根気のいる仕事ではあったが、東レがハイテク新素材メーカーへステップアップする上でこのプロジェクトは重要な意味を持っていた。


このままではうまみのないアップル販売事業をそろそろ打ち切るべきではないかという話は、ごく自然に東レ社内から出ていた。それが決定的となったのは、新事業推進本部の次期予算会議が行われる82年1月のことである。同年の3月末の決算において、東レの経常利益は前年度を50億円近く割り込むことが予測されていたのである。役員会に端を発したアップル販売契約打ち切りの話は、常務取締役である中橋から内々に田口に検討事項として伝えられた。羽根田が田口から、この打診についてどう回答するかを問われたのは2月初旬のことである。

「羽根田、もう1年やってみるんなら交渉できないこともないが、どうなんや」

田口の言葉は、決して強制口調ではない、あくまで意志を問う柔らかいものだった。その質問に、羽根田は辛うじて応えた。

「そうですね……。もうやめておいたほうが賢明でしょうね」

アップルⅡの出荷状況は予想倒れだった。また、アップルⅡの国内製造の件も、アップル本社はまったく興味を示さない。結果として赤字続きのアップルⅡの販売事業を、このままあと1年間続けても、この状況が好転しているとは考えられない。対ドルの円レートが転落しはじめたことも輸入事業の逆風となっていた。だが、やはり最大の問題は、平行線をたどり続けている日本市場への投資負担の問題だった。スリム化を進める東レでは、アップルの肩代わりをする余裕などないどころか、無理強いは担当社員の進退にまで影響することくらい、長年のサラリーマン生活でわかりきっていた。

「打ち切りましょう、私の部下が社内で敗残兵となる前に。アップルの日本法人設立時には、東レの在庫に対する金利、保管料などの諸経費は請求できるよう契約項目が盛り込んであります。いまなら、これを行使することで累積収支は黒字化できます」

それが結論だった。

「そうか、わかった」

田口は一言そういった。

本件は、アップル側にはションフェルドを経由して速やかにシャンクに伝えられた。

「東レの経営陣は、アップル事業に失望しつつあるようです。混乱を招く前に、可能な限り早くアップルの支社を設立する必要があると思われます」
「すぐといっても、法人設立は一朝一夕にはいかない。それまでの間はどうする?」
「東レの取り次ぎだったESDを総輸入元としてしばらく継続します。これに関しては、すでにESDの水島さんに打診し、了解を得ています。1年間の契約単位で総輸入元業務を委託するのが適当かと思っています」
「ESDが適当と思われる理由は?」
「メンテナンスやサポートを委託できる信頼性は一番です。かつて東レにいた水島さんに言わせると、東レは大企業ですから、彼らのメンツを守ることが重要だということです。アップルのイメージも併せて考えると、『撤退』という匂いを漂わせず東レとの提携を終了するには、アップルの日本法人設立が最も妥当な名目だというわけです。準備会社に引き継ぐという名目で、つまり東レ・アップル両者円満合意の上で、本件契約打ち切りを進めるのがよいと思われます」

「そうか……。この件は慎重に判断した方がよいね。役員と確認した上で指示を出そう……」

本件は、スティーブ・シャンクから取締役であるジーン・カーターに報告された。これまでアップルの日本支社設立の準備はまったく進まない時期が続いてきたが、いよいよ決断せざるを得ない時期が来たといえた。カーターはシャンクに、東レとの契約の解消の承認と、暫定処置としてESDとの総輸入元契約を進めることの承認をした。これをもってスティーブ・シャンクと井之上アートプロダクツには、東レとの間で、契約解消の作業を進めるよう指示が伝えられた。82年6月、目論み通り、アップルが日本に進出するという名目で東レの撤退がアナウンスされた。東レは撤退しても、東レリサーチセンターが1ディーラーとして引き続き残ることで、ネガティブな見え方は避けることに成功した。

アップルの日本進出にあたってアップルは、東レの在庫を引き受けることとなり、その間の倉庫代や金利などの一切を引き受けることとなった。赤字続きだった東レのアップル事業は、皮肉なことに、この支払いによって大幅な黒字化で締めくくられることとなったのである。羽根田自身が正式にこの計測機器貿易課から異動したのは、残務処理を終えた9月15日のことである。一方、アップル側の処理を担当したシャンクも、この件の終了とともにアップルを退社した。どちらの企業も、担当者が引責するという点においては共通だった。2年にわたるこの提携に勝者は不在だった。

東レの撤退後、当面の総輸入元はESDが執り行うこととなった。販社としてよりも技術面での力は、かつてのアップルのディーラーの中でも飛び抜けていた。今回の契約によってそのESDは、以前のような「ディーラー」ではなく、「Sole Importer契約」つまり総輸入元という位置づけになる。営業面での力が試されることとなる。それまでのディーラーを傘下に引き継いで出荷するにあたり、総輸入元としてESDの急務は不良品対策だった。若き社員たちを駆り出して、トラックで荷が届くとすぐに商品を開封し、動作確認を行いはじめた。電源を入れ、72時間の耐久テストをパスしたもののみを出荷するという徹底ぶりはそれまでの東レにはない文化だった。これは技術畑の水島ならではの発案である。若い会社だからできる人海戦術だった。

一方ションフェルドは、アップルジャパンの設立準備のため、正式に日本に赴任した。シャンクが退社した後に日本を見るのは、ションフェルド一人ということになる。わずか1年ですべてを済ませなければならない多忙な日々の始まりである。5月には代々木にある外国人向け高級マンションに引っ越しを済ませた。無論、費用はすべて米国アップル本社の負担である。ESDに流通を委ね、その間にションフェルドは、井之上らと社長に適した人材候補のリストアップをヘッドハンティング会社に依頼した。日本のマスコミに対しては、東レの契約解消直後の6月17日に準備オフィスの設立を広報するお膳立てが組まれたが、当面は九段にある井之上パブリックリレーションズ(81年12月に井之上アートプロダクツより社名改称)の一角を間借りする格好となる。

一方総輸入元という大任が再び舞い込んできた水島にとって、やりがいはあるとはいえ、状況はいいことばかりではなかった。東レの拡販政策よって日本国内におけるアップル製品の流通は以前よりは広げられてきたが、その分撤退後の混乱が予想される。さらにここ数年の間に、安価な並行輸入品が横行しはじめている。いやおうなしの価格低下はディーラーにとってうまみがなくなりつつあった。さらなる不安材料もある。今回の総輸入元の契約期間が1年という短期間であることだ。両者合意に基づいて自動延長するとなってはいるが、長期視野での投資はできない。

そんな中、ESDには10月から、新役員が参加することになっていた。ほかならぬ羽根田孝人その人である。流通チャネルを安定維持する上で、東レで営業経験を積んだ羽根田は強力な助っ人であった。総輸入元としてさっそく取り組んだのは、イベントの開催である。手作りながら、アップルの認知度をあげるためのプロモーションの目玉として、一二月に湯島にある全ラ会館のワンフロアを借りてのアップル製品イベント「アップルフェスト」の開催にこぎ着けた。イベントコンパニオンなどを使うことなく若い社員総出でのイベントは、競合メーカーのような派手さはない。が、既存のユーザーたちが求めるものを確実に携えていた。小さくなったが、船は再びゆっくりと漕ぎ出した。


1970年代のシリコンバレーを舞台とした二人の革命に浸れ…熱狂せよ…!!

スティーブズ(1) (ビッグコミックス)

--- - うめ(小沢高広・妹尾朝子) - 松永肇一
小学館
2014-11-28

この連載について

初回を読む
林檎の樹の下で -アップルコンピュータジャパン物語- ✕スティーブズ外伝

うめ(小沢高広・妹尾朝子) /斎藤 由多加

ふたりのスティーブ、ジョブズとウォズニアックが設立したアップルコンピューターは、1977年4月、サンフランシスコで開催されたウェストコーストコンピュータフェアに出展した。ジョブズがこだわりにこだわったベージュ色の本体の数が足りないので...もっと読む

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コメント

prisonerofroad #スティーブズ 4日前 replyretweetfavorite

ima_co なるほどなぁ。なんつーか、段階を経て上手く回ってるというかなんというか。 [link] 4日前 replyretweetfavorite