第一章 生き返った男 3 妻が明かす事実(後編)

自分と同じ様に「生き返った」という少女のニュースを眺めていた徹生。自分は生きている!という実感を強く持つことが出来た。元の生活に戻れると思った矢先、妻の千佳から徹生の死について聞かされる。平野啓一郎さんの小説『空白を満たしなさい』が、3章までの限定公開です。

 食後、千佳が璃久を風呂に入れて寝かしつけるまでの間、徹生は、金曜の夜の情報番組で、彼と同様に「生き返った」という仙台の少女が、家族と一緒にインタヴューを受けているのを眺めていた。

「事故に遭った時のことは、覚えてますか?」

「部活のみんなと信号を待ってて、そしたら、急に車が突っ込んできて、……」

「轢かれた、というのは?」

「いえ。……ただ、アッて感じで、……」

「自分がその時に亡くなってたってことは、どうかな、信じられる?」

 座布団に座って、首を振る少女の手を、傍らで母親が握り締めている。反対隣には、徹生より少し年上くらいの父親が、背中を丸めて、俯き加減で胡座をかいていた。

 ビール缶に口をつけていた徹生は、その縁を軽く歯で噛んだ。

「お父様は、娘さんに再会された時は、どんなお気持ちでした?」

「それは、……言葉に出来ないです。こんな奇跡が起こるなんて、想像もしてませんでしたし。……ただただ、うれしい。その一言です。」

 画面右上には、「交通事故死の少女、奇跡の生還!?」という文字が躍り、左上には、スタジオの芸能人らの顔が映し出されている。

「今、一番、何をしたいですか?」

 最後に少女が、改めてアップで映された。二つ結びにした黒い髪。おでこのにきび。左右の揃わない一重まぶた。半開きの口。……

「うーん、……またブラスバンドに戻りたい。クラリネット吹きたいです。」

「新しいクラリネット、買わないとな。」

 父親は、はにかむような娘の手を甲から握ると、約束を確認するように言った。

『この子は、正直に喋ってる。』

 徹生はそう感じた。この無垢な表情が噓だというのなら、この世の一体、何を信じればいいのだろう?

「あの子をよく見てください! 本当にあの子が、噓を吐いていると思うんですか?」

 今日の病院でも、そう言えさえすれば、どんなに説得力があったことか。……

 もし仮に、この少女が、世界中から爪弾きにされたとしても、彼女の両脇に座っている両親だけは、断固として、その言葉を信じるに違いなかった。彼らにとって、娘が生き返ったことは、「ただただ、うれしい」ことなのだから。

 徹生は、握り締められた少女の手を見つめながら、無意識に鼻を搔いた。その指には、まだあの隣の犬の臭いが微かに残っていた。

 千佳が、濡れた髪を撫でつけて居間に戻ってきた時には、9時を回っていた。

 普段から薄化粧だったが、湯上がりの火照った白い頰には、それでもやっと素肌になれたという解放感があった。幾分張った左右の顎が、細い首に静かな影を落としている。以前は気にして、よく鏡の前で、髪で隠してみたり、手で覆ってみたりしていたが、その時の彼女の、さも残念そうな顔が、徹生には、何とも言えず愛らしく感じられていた。所謂「美人顔」ではなかったが、彼女が働く駅の土産物売場では、杖をついたような年配の客に、「べっぴんさん」と評判が良かった。

 徹生は、水の入ったコップを持った千佳に、

「三年の間に、千佳がまた、すごく母親らしくなってて、ビックリしてる。」と言った。

 千佳は、テーブルを挟んで、徹生と向かい合わせに腰を下ろすと、「そう?」と言った。

「うん。さっきの璃久への注意の仕方とか見てても。」

「いい子よ、りっくん。」

「それは、そうだよ。俺と千佳の子供なんだから。」

 徹生は、曖昧な笑顔を見せた彼女に、しんみりと言った。

「俺は側にいてあげられなかったけど、すごくちゃんと璃久を育ててくれてて、……本当に感謝してる。ありがとう。……自分のことで頭がいっぱいになってたけど、一番にそのことを言うべきだった。」

 千佳は、つと顔を上げると、十秒間ほど、徹生の目を見ていた。そして、一言だけ、

「本心?」と尋ねた。

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空白を満たしなさい

平野啓一郎

cakesでもインタビューを行った、平野啓一郎さんの小説『空白を満たしなさい』(講談社)が、3章までの限定公開です。年間約三万人の自殺者が出るこの国で、生と死、そして幸福の意味を問う意欲作。平野さんの考えた概念「分人」をまとめたcak...もっと読む

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