世の男女は、結婚するまでは相手のことを「自分の結婚相手は、この人で本当に大丈夫なのか?」と審査するように見つめ、「お付き合い」や「同棲」などのお試し期間を設けたりして、散々石橋を叩くわりに、いざ結婚したら、いきなりその視点を封印して、鈍感になることを決めこむ傾向があるように思う。
夫婦なんだから、お互いに合わないところがあってもなんとか仲良くしていこう、別れないために折り合いをつけてやっていこう、そう粘るのが当たり前だともはや観念していて、なんというか単純に「別れる」というアイディアを思いつけなくなっている既婚者は多い。
私は、旦那さんと長続きするための努力をする気が一切ない。むしろ、私の努力によって変に夫婦生活が延長されることなどがないように細心の注意を払っている。
幸せな結婚生活を送るには「相性」が重要
男女が夫婦としてうまくいくかどうかは、基本的に相性だ。努力次第で多少のカバーはできるだろうけれど、根本的に相性が良いかどうかはとても重要なことで、相性が悪い相手と無理をして夫婦として添い遂げる人生って、それこそ「結婚は人生の墓場パターン」だろうと思う。
相性が悪くても優しさや思いやりを持ち寄ることで不快感を与えないように暮らすことはできるだろうけれど、キュンとしたり、笑ったり、なんでもないような日々の中で「幸せだ!」と爆発する瞬間があったり、そういう2人になれるかどうかは相性にかかっていて、譲歩や妥協や遠慮や我慢をしたところで、ベースの相性の良さが欠けていると幸せな結婚生活は手に入らない。
私は旦那さんに対して「相性が良かったらいいなぁ」と願っている。この人との結婚生活がうまくいったら運がいいなぁと思う。初婚でそんな相手を引き当てられていたとしたら、それはおめでたいし、すごくラッキーなことだ。
でも、そうじゃなかったら、私たちの夫婦としての相性がイマイチだったとしたならば、とにかくなる早で離婚がしたい。
離婚を先送りした分だけ人生のダメージが大きい
世間ではスピード離婚を非難する風潮が強いけれど、ありとあらゆる点で熟年離婚の方がよっぽど悲惨だとも思うし、いずれにせよスピード離婚が特別に非難されるのはすごく変な話だ。1週間で別れても、3年目で別れても、25年耐えてから別れても、どれも同じ「結婚に失敗した人」「本当はラブラブじゃなかった夫婦」でしかなく、離婚した結婚の価値など、どれも変わらない。婚姻期間による優劣などあるわけがない。もれなく残念だ。ラブラブなままで添い遂げられた結婚だけが別物だ。
むしろ耐えた年数分だけ歳をとってしまって、そこから始められる新しい人生の幅が狭まってしまう点で、離婚を先送りにした分だけ人生としてはダメージが大きい。
彼と一緒にいて、「いつかの離婚」が見えた気がしたら、その時点で、私は今すぐ離婚をしたい。添い遂げられそうもないのであれば、離婚は早ければ早いほどいい。
離婚をするのを先送りにしている人は、本当に多い。「死ぬまで一緒にいれそうなの?」「もう一生、ラブラブの幸せがない人生でいいの?」「この先、自分の男(女)はその人の一択で、今回の人生を気持ちよく締めくくれそうなの?」と訊いたとして「それはない」と断言しそうな既婚者をたくさん見てきたし、「まあ、いつかは離婚する」というプランを頭の片隅に置いている既婚者も少なくない印象があるけれど、何度も言うように、離婚の先送りなんて百害あって一利なしだから、もしも彼との未来に離婚があるのであれば、私はできる限り、先取りをしたい。
私には、離婚をして失うものなど一つもない
私は現在妊婦で、秋には子どもが生まれるけども、もし離婚する相性なのであれば、子どもが生まれる前に知りたい。出産前に別れれば、子どもに彼を父親として認識させないパターンも選べるし、子どもにとっての「家族」を初めから調整できる。
もし、子どもが生まれてから離婚することになったとしても、せめて子どもが物心がつく前にしたい。子どもが彼に懐いてからの離婚だと「大好きなお父さんとの別れ」を体験させることになるので、それは可哀想だ。しかし物心つく前の離婚であれば、子どもは彼との距離をそういうものだと認識するからそのことを寂しいと感じない。
実のお父さんが揃っているに越したことはないけれど、それは夫婦がラブラブであればの話だ。ギスギスした家庭になるのならばいない方がマシだと思うし、男手に関して言えば、実家に戻れば彼と同い年で大体似たような背格好と身体能力を持つ弟がいるから、キャッチボールも自転車の練習も問題なく行える。お父さんがいないことでできない経験などは特に生まれないだろうし、授業参観も弟に付き合ってもらえば、他人はいちいち「あれってお父さん?」などと確認してこないだろう。(配役として不自然じゃなければ。人材として無理があると「あれ誰?」という意味をこめての「あれってお父さん?」が生まれる)
「離婚は失うものが多いよ」と言われることがある。でも、私には、離婚をして失うものなど一つもない。離婚によって失うものは、たった一つ「旦那さん」だけだ。私の人生から彼がいなくなるだけ(離婚する時はいらなくなった時だろうから失うものとしてカウントしない)。
子育てでは弟が戦力になりそうだし、親は出戻りを大歓迎している。ここ最近はすっかりエッセイストとして生計を立ている身としては、離婚に関しては経験値が増えて書ける幅が広がるので、結婚・妊娠・出産に続くビックな収穫にさえなる。
さっさとボロを出すために、彼のことを叩きまくる日々
そういうわけで、私は、常日頃から彼に対して一切の我慢をしない。不満が溜まるような遠慮も、わだかまりが残るような譲歩も、絶対にしない。それは相性の悪さを浮き彫りにする日を遅らせる行為であり、離婚の先送りになってしまうから、絶対にしない。
さらには、「私たちの相性って、どうなの? 添い遂げられる二人なの? しょせんいつか離婚する夫婦なの?」という気持ちを込めて、もし後者なのであれば、さっさとボロが出て欲しいので、子どもを産むと決めた日からは一段と、彼のことを叩きまくっている。埃が出るところがあるのなら早く発見したい。
「こんな時、どう出る?」というのを常に見ているし、シチュエーションを巻きで詰め込んでいる。
私の面倒をどれくらい見るのかを探ることで、子どもの面倒をどれくらい見そうかを計り、そういう時の顔色も要チェックしている。夜中に私が「つわり! シュークリームが食べたい!」と言い出したとして、つわりの種をまいたのは自分なのだから買いに行ってくれるのは当然として、その際に少しも嫌な顔をしないのかも大事なポイントだ。私のメンタルだと、嫌な顔をされるなら頼めなくなることだらけだから、嫌な顔をした時点で頼れない相手となる。
私が頼んだことをどのくらいやってくれる人なのか、(率先してやらなくても)頼めばやってくれる人なのか。どのレベルで怒るのか、どこまでは怒らないのか。
もちろん、あえての試し行動はしない。それはすごく失礼だし、思いやりがないし、誠意に欠けると思うので、調査のためだけに面倒を押し付けたり苦しめるようなことは絶対にしない。本当は特に言いたくもないことを、反応を探るためにカマをかける目的だけで吹っかけたりはしないけれど、「私はこういうことを言いたい人間だ。こういうことを言える相手と暮らして生きたい女なんです。こんな風に頼れる男を夫に持ちたいんです」という欲望を、どストレートに包み隠さずぶつけまくっている。
それは私にとって、決してワガママなことではないし、あくまで正当で適切な要求だと思うし(例えば、つわりの面倒を見させることなど)、もしくは性癖なので、そこは譲れないというか、性癖を殺して生きていく人生など嫌だ。そこは満たして生きていきたい。
私だって喧嘩はキライだけれど
なので、もしその中に「俺はそういうことを言われると嫌なんです。そこまでは対応できないんです。面倒くさくて無理です」があったとしたら、私たちは結婚というものへの価値観(とくに覚悟)がズレてるのだろうし、それは夫婦として相性の不一致だから、離婚を検討した方がお互いのためだし、離婚後の人生を最大限に大切にするためにその情報は1秒でも早く知りたい。
だから言い控えはしない。こんなこと言ったら喧嘩になるかな?と思っても、その場で言う。
結婚する前は誰とも喧嘩などしたことがなかったし、今だって喧嘩はキライで全然したくないけれど、不満を飲み込んだ分だけ相性の悪さの発覚が遅れると思うので、どんな些細なことでも、ちゃんとその場で言い出して、揉めるようにしている。揉めることに対して臆さないように気を付けている。
相性が悪いのならば早く知りたい。その一心で、私は彼に素直に接している。
そんな感じで週に2~3回は「この延長線上に離婚があるよ」という説明をする機会があるのだけれど、彼はその都度、それをきちんと真に受けて、少しも嫌じゃなさそうに「直す」と宣言してくれているから、今のところ私は彼と、添い遂げる可能性の方がリアルに感じられている。