23歳男性。生後一週間でマクローリン展開をする。四歳でハーヴァードに入学。六歳で数学の博士号を取る。二十歳で万物理論を完成させたのち、「コミュニケーション」の発明を行う古見宇発明研究所を設立する。
ニケ
32歳女性、千葉県出身。古見宇研究所助手。好きなものは竹輪とGINZA。嫌いなものはセリーヌ・ディオン。「宇宙の解」を知って絶望していた博士に「コミュニケーション」という難題を与え、結果的に古見宇研究所の設立に繋げる。
昼休みにスマホアプリを見ていた私は、とある記事を読んでムッとした。
ケンブリッジ大学とカリフォルニア工科大学の共同研究で、音楽が健康によくないことが明らかになった。研究チームを率いたブラウン博士は以下のように語っている。「音楽はアルツハイマー病と心臓病を引き起こす危険因子であり、情緒不安定、攻撃的傾向と意志力の低下を引き起こします。演奏するにせよ聴くにせよ、習慣的に音楽に晒されることは、深刻なうつ病を発症する危険を40%以上引き上げ、IQを平均10ポイント引き下げ、暴力行為に加担する可能性を2倍近く上げます」
研究チームは音楽に接する機会を1日1時間以内に制限し、音楽教育は直ちにやめるべきだと勧告している。
音楽をこういう風に批判するなんて、許されないと思った。
私は今読んだ記事について調べようと思い、グーグルを開いたけれど、調べたところで何か意味があるのかと思い、結局忘れることにした。
そのとき、研究室から出てきた博士が「ようやく完成したよ!」と言った。
「何が完成したんですか?」
「ニケ君の《神マップ》だよ」
「《神マップ》ってなんですか?」
博士は質問に答えず、「ニケ君は何か信仰している宗教とかある?」と聞いてきた。
私は「たぶん無神論者です」と答えた。
「なるほど。でも、実はそう簡単に『無神論者』とは言えないかもしれない」
「どういうことですか?」
「ニケ君はさっき、『音楽が健康によくない』という記事を読んで、ムッとしたんじゃないかな?」
私は慌てて「どうしてそのことを知っているんですか?」と聞いた。その通りだった。
「あの記事は、ニケ君の《神マップ》を完成させるために配信されたフェイクだからだよ」
「フェイク? 嘘だったんですか?」
「もちろん嘘さ。何から何まですべて嘘。引用元とされているリンク先が無能作家のデビュー作になっているから、実際に踏んでみればすぐにわかるようになっているよ。あの記事自体は、ダニエル・デネットという哲学者が考えた偽ニュースさ」
博士はそう笑った。私は少し安心した。これからも気兼ねなく、好きな音楽を聴くことができる。やっぱり、音楽は必要不可欠なものなんだ。
博士は私を見ながら「重要なのは、ニケ君があの記事を読んだときにどう感じたかなんだ」と続けた。
「人によって、いろいろな反応があるだろうね。『その研究は間違いに違いない』と細かく調べようとする人もいるだろう。そういった人は、リンクを踏んで実際に確かめたかもしれない。他には、『もし本当だとしても私は音楽を聴く』という人もいるだろう。『そんなことを主張すること自体が間違っている』と感じる人もいる。ニケ君はこれに近いね」
「たしかに私はムッとしました……。なんか、自分を否定されたような気がしたんです」
「それは、宗教を信仰している人が神を否定されたときに感じるものと近いんだ」
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